抑えたのに激怒され“内角攻め” 吠える助っ人…「指令」から始まった歴史的大乱闘

元中日・鹿島忠氏【写真:本人提供】
元中日・鹿島忠氏【写真:本人提供】

1990年5月24日の中日対巨人は乱闘騒ぎ…警告試合に

 異様なムードでの試合だった。もはや野球ではなかったといってもいいのかもしれない。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は1990年5月24日の巨人戦(ナゴヤ球場)で巨人・ウォーレン・クロマティ外野手に対する危険投球で退場処分を受けた。それまでに乱闘騒ぎがあり、危険球合戦の様相も呈して警告試合になっていたところで、頭部付近に投げ込んだからだった。いったい何が……。鹿島氏がその舞台裏を明かした。

 この試合は序盤の3回から、とてつもない“展開”だった。巨人・槙原寛己投手から顔付近に投じられた中日・バンスロー内野手が激高。両軍がベンチから飛び出して一触即発ムードになった。さらに星野仙一監督が友寄正人球審に抗議している時、巨人の松原誠打撃コーチが「あそこを狙うのは当たり前だ。何を言っているんだ」と“ヤジ”。これに闘将が血相を変え「なんや! なんやこの野郎! 来い!」と吠えながら、三塁側の巨人ベンチの方へ向かっていき、乱闘騒ぎに発展した。

 松原コーチを探す星野監督が、どけとばかりに巨人・水野雄仁投手を平手打ちするなど、三塁ベンチ前は両軍入り乱れての大バトル。騒動の中、中日のベニー・ディステファーノ外野手は巨人・江藤省三守備コーチを殴って、出血させる暴力行為を働き、退場となった。試合再開後も不穏な空気は収まらない。投手が内角を攻めるたびに、ピリピリムード。8回に巨人の広田浩章投手が、バンスローの顔付近に投げた際には、次に危険球など報復行為と審判団が判断した場合は、退場にするという警告試合を宣告する事態になった。

 そんな中で鹿島氏は、8-10の8回途中から5番手投手として登板した。問題のシーンは回をまたいでマウンドに上がった9回だった。「9回は監督から全部、厳しいところに投げろって言われていた。だけど、相手も警戒しているし、全部内角に投げても見送られるだけで、先頭打者を四球で出した。そしたら、投手コーチの池田(英俊)さんがマウンドに来て『(内角ばかりではなく)普通に投げろ』って。『監督から言われていましたけどいいんですか』といっても『いいから普通に投げろ』って言われたので『わかりました』と答えたんだけどね」。

元中日・鹿島忠氏【写真:山口真司】
元中日・鹿島忠氏【写真:山口真司】

鹿島忠氏がクロマティの頭部付近へ…退場処分を受けた

 次の打者はそれこそ“普通”に投じて二ゴロ併殺打に打ち取って、2死走者なしになった。そして迎えた打者がクロマティだった。「前の打者のゲッツーの時、キャッチャーの山中(潔)が一塁にバックアップにいった後、ホームに戻るために、一塁側の(中日)ベンチ前を通ったら、監督が『何しとるんじゃあ!』って吠えていたんだって。内角を攻めなかったからで、山中が慌ててマウンドに来た。『監督が怒っている』っていうからチラッと見たらすごく怖い顔をしていた。あの時は池田さん、頼むわぁって思ったよ」。

 そこで再び切り替えて内角を攻めた。それが顔付近のボールになった。クロマティは思わずかがんでよけた。「目線の高さに投げたらああなったんだけどね」。クロマティが吠え、両軍がベンチから飛び出してきて、また乱闘騒ぎ。警告試合だったため、死球ではなかったが、鹿島氏は危険球で退場処分となった。打席に残ったクロマティをにらみ、挑発するように自分の頭を指差しながら、マウンドからベンチに戻った。「向こうが打席でまだワーワー言っているから、ぎゃあぎゃあ言うな、みたいな気持ちになって自然とああなってしまった……」。

 中日も巨人も大エキサイトしたが、後味の悪い試合ではあった。暴力行為も絡んだだけに、決してほめられたものではなかったし、現在ならさらに大問題になったことだろう。ちなみにその後、同じ年の東京ドームでの巨人戦に鹿島氏は登板し、クロマティと“再戦”した際にも騒動が起きている。

「ファーストゴロに打ち取って、ファーストのベースカバーに行って、ボールを捕った瞬間、あっ、これ、来られるなと思って、さっと逃げた。逃げたんだけど、クロマティがドーンと当たってきたから、また両軍が出てきてひと悶着があった。もし、あの時、俺が逃げずに普通にプレーしていたら、もっとドカーンとなっただろうね」。いやはや何とも……。もっとも、それが当たり前のように、いろんなところで似たようなことがあったのもまた事実だ。「今思えば、すごい時代だったよね」と鹿島氏は振り返った。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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