葛藤のFA移籍も「行って良かった」 待っていた苦難の日々…陽岱鋼が語る巨人での5年間

米独立リーグ「ハイポイント・ロッカーズ」でプレーする陽岱鋼【写真:川村虎大】
米独立リーグ「ハイポイント・ロッカーズ」でプレーする陽岱鋼【写真:川村虎大】

2016年オフにFA移籍も当初は日本ハム残留を希望「ただ、契約はしてくれませんでしたから」

 苦しんだ5年間も、振り返れば成長を手助けしてくれた。北米独立「アトランティック・リーグ」のハイポイント・ロッカーズに所属する陽岱鋼外野手は2021年オフに巨人を退団し、翌2022年から米国、豪州を渡り歩いた。巨人時代は怪我と不振に悩まされたが「行って良かった」。そう感謝する。

 陽が巨人に入団したのは2016年オフ。その年は日本ハムで主に1、3、6番で起用されて130試合に出場、打率.293、14本塁打、61打点をマークし、日本一に貢献した。しかし、日本ハムは陽を引き留めなかった。「自分は残ろうと思っていたので。ただ、契約はしてくれませんでしたから。悔しかったですが、自分はここで終わりじゃないんだって。自分自身に責任を取ろうと」。国内FA権を行使し新天地を求めた。

 巨人移籍1年目の2017年は下半身のコンディション不良で開幕に間に合わず、6月に1軍昇格。結果として、87試合で9本塁打に終わった。30歳にもなり、体にも変化が訪れたが、その時に古巣でチームメートだった稲葉篤紀氏(現日本ハムGM)の言葉を思い出したという。

「若いころに稲葉さんから『野球を長くやりたいなら、走れ』って言われて。その言葉を信じてやってきました。(巨人移籍後の)30歳くらいからですかね……。下半身が強くなっていることを実感しました。走るのは結果に見えにくいですけど、やってよかったなって思いました」

代打起用に悩む日々に…ポジション争う先輩から金言「後で返ってくる」

 巨人入団後は亀井善行外野手(現1軍打撃コーチ)と2018年のキャンプから毎朝、2人で走ったという。同年は「1番・中堅」で開幕スタメンを勝ち取ったものの、4月3日の中日戦で左手首に死球を受け骨折。約1か月半の離脱となり、復帰してからも代打で準備する日々が続いた。

 それでも、走ることは辞めなかった。するとある日の練習中、亀井が声をかけてきた。「『今走ったら絶対後で返ってくるから信じろ』って言われて」。当時、亀井と陽は共にレギュラーを争うライバル関係だった。

「亀井さんって普段はあまり多く話さないんですよ。背中で見せるタイプというか。それが、ポジション争いをしているにもかかわらず、言ってくれたのが凄い嬉しかったですね」

 巨人時代は329試合に出場し、打率.258、24本塁打、97打点。5年の大型契約に見合った結果とはいえないかもしれない。それでも、日本ハム時代も巨人時代も“恩人たち”に会えたことが今の自分につながっている。「日本でプレーして正解だったし、巨人に行って良かったと思っています」。古巣への感謝の思いは強かった。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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