ヌートバーが大事にする“両親の教え” メジャーの潮流に「身を任せる気はない」
ヌートバー連載第4回…生来の左打ち「ごく自然なことだった」
野球日本代表「侍ジャパン」に日系選手として初めて招集され、3大会ぶりの世界一に貢献したカージナルスのラーズ・ヌートバー外野手。球宴後の後半戦4試合ですべてに安打を放ち奮闘している。Full-Countでは、MLB公式サイトのカージナルス番ジョン・デントン記者の取材をもとに、等身大のヌートバーを粗挽きする月2回の連載「ペッパー通信」をお届けしている。第4回は、打撃について。【取材:ジョン・デントン、構成:木崎英夫】
ラーズ・ヌートバーが後半戦に好調な滑り出しを見せている。
14日(日本時間15日)からの後半戦で毎試合ヒットを放ち、1本塁打を含む計5安打2打点を記録。前半戦終了近くの7月3日(同4日)から11試合連続安打としている。
ヌートバーは、言わずと知れた右投げ左打ちの選手。
右投げ左打ちの多くが利き腕は右で、左打ちに変えたという選手が日本でも大半を占めているはず。ヌートバーが好きな打者として名を挙げるイチローも松井秀喜もそうであったと聞く。しかし、ヌートバーは意図して変えた左打ちではない。
「3歳か4歳ぐらいの頃と聞いているけど、ゴルフクラブを振り回して遊んでいた時期があってね。体が少し大きくなって野球ができるようになってからも振るバットは左。サッカーをしても強く蹴るときは左足だったから、僕にとってバットを左で振ることはごく自然なことだった」
両親から学んだレベルスイング「メジャーでも生きている」
ヌートバーは「食事も文字を書くときも右手」と付け加えたが、右利きの選手が左打ちになるまでの一般的な過程を踏まなかったのは、両親の洞察眼とも関係しているようだ。
大学まで野球経験がある父・チャーリーさんと高校でソフトボールに熱中した母・久美子さんが、右打ちを指南したことは一切なかったという。バットを振る競技で培った2人の目には、身の丈より長いゴルフクラブで遊ぶ息子の姿が、ある種のイメージとして映っていたのだろう。ヌートバーはそこを掛け値なしに「ありがたいこと」と感謝している。
ただ、スイッチヒッターになりたいという願望はあった。それはマイナーリーグまでプレーをした4歳上の兄・ナイジェルが関係している。ナイジェルも利き腕は右だが、左打ちの練習を重ねてスイッチヒッターになった。ラーズも一時は、右打ちへの意欲を見せたというが、不自然な体の使い方に耐えられず自ら幕引きをしている。
打撃に関してチャーリーさんと久美子さんが唯一、徹底させたことがあった――。
「父から学んだことは多い。その中で、今も僕の打撃でレベルアップのための“砥石”としているのが、レベルスイングの徹底。母からもそこを強調された。高校、大学、マイナー、そしてメジャーと階段を昇ってきたけど、両親の教えはずっと大事にしている」
近年、「フライボール革命」なる打撃理論が広がっている。データに基づき、ゴロを打つよりフライを打ち上げる方がヒットの確率が上がるという考え方であるが、ヌートバーは、意識的に打球に角度をつけて打ち上げる新潮流に「身を任せる気はさらさらない」と自説を曲げない。
「長打を狙うならアッパースイング。逆に、ゴロを打とうとするならダウンスイングになるのが打者の習性。“フライボール革命”が主張するのは、要は余計な意識を働かせろということでしょ。僕は絶対にそれはしたくない。両親は『一連の動きをシンプルにして、いつも安定してスイングしなさい』と教えてくれた。メジャーでもそれが生きていると実感している。だから、レベルスイングの背景が霞むことはない」
好きな選手の一人はプホルス「フラットで滑らかなスイング」
5月終わりの試合で、飛球を追いフェンスにぶつけた腰の痛みが引かず戦列を離脱。復帰まで2週間以上を要したが、ここまでチーム7位の62安打を放ち、27打点(8位)、出塁率.359(3位)、37四球(2位)と健闘している。
最後に聞いた。イチローと松井秀喜の他に好きなのは誰か。
ヌートバーは迷うことなく右打者のアルバート・プホルスを挙げた。昨年までの約1年半、チームメートになったプホルスは、通算3384安打(歴代9位)と704本塁打(歴代4位)を記録した偉大な打者。彼を挙げた理由は「フラットで滑らかなスイング」だった。
ロッカーの椅子から腰を上げると、ヌートバーは去り際にこう言った。
「僕は、サッカー、バスケットボール、フットボール、バレーボールなどいろいろな球技をして遊んだ。選手の動きもボールの扱い方もそれぞれ異なっているからこそ、僕の動体視力は鍛えられたと思っている。特別な訓練はなにもしていない」
偏りのなさがスイングにも通じているのがなんとも面白い。
(「MLB公式サイト」ジョン・デントン / John Denton)