饒舌に「ヤキニク・ダイスキ」 移転前から愛した札幌…元ハム助っ人が語る“日本愛”

日本ハムの駐米スカウトを務めるマット・ウインタース氏【写真:川村虎大】
日本ハムの駐米スカウトを務めるマット・ウインタース氏【写真:川村虎大】

元日本ハムのウインタース氏は駐米スカウトとして今も古巣に貢献

 63歳になった今でも、持ち前の陽気さは現役時代と変わらない。カメラを向けると両手でピースサインにグッドサイン……。東京ドーム時代の日本ハムを支えたマット・ウインタース氏は、今でも駐米スカウトという立場で古巣を支える。「もう15年くらいやっているかな。私はファイターズも日本野球も大好きだから、両方のいいとこどりだ」。自らの“後継者”を探す毎日だ。

 7月7日(日本時間同8日)に米ノースカロライナ州ケーリーで行われた第44回日米大学野球のバックネット裏に、ウインタース氏の姿があった。現在、同州のグリーンズボロ在住で「だから“チカイ”だね」。時折、日本語を交えながら取材に応じてくれた。

 ウインタース氏が日本ハムに在籍したのは、1990年からの5年間。オレンジ基調のユニホームが記憶にあるファンも多いだろう。4年連続30本塁打以上を記録するなど、5年間で160本塁打を積み重ねたが、「トウキョウ、ムシアツイ」。慣れない気候には少々苦戦したという。

 当時、日本ハムは北海道とは縁がなかったが、現役時代から“お気に入り”は札幌訪問だったという。「ホッカイドウに行くのはいつも楽しかった。米国みたいに広々としていて、涼しいしね。サッポロはいつも“イイテンキ”だった。冬場は“タクサン、ユキ”とかいう状況なのは知っているが、夏場のサッポロはとてもいいね」。今でも毎年北海道に訪れているという。また、食事も合っていたといい、「お気に入りはヤキニクだね。“ヤキニク・ダイスキ”」と明かしてくれた。

すばらしい同僚に恵まれて「日本でのキャリアを築けた」

 現役時代は、たくさんのチームメートにも救われた。当時、通訳を務めたのは、のちに球団代表となり、2004年の球団の札幌移転に尽力した島田利正氏。「シマダサンもそうだし、そして僕らの捕手だったタムラサン(田村藤夫)、カズ・シライ(白井一幸)、そしてユキオ・タナカ(田中幸雄)。彼らだね。あと三塁手のカタオカサン(片岡篤史・現中日2軍監督)。そしてセンセイだったのは、オオシマサン(大島康徳)。だがオオシマサンは亡くなってしまったね……。がんで。いい友人がたくさんいる」。

 今でもスラスラと名前が出てくる。「(一人を選ぶのは)難しいね。すばらしい友人、すばらしいチームメートもたくさんいた。だから日本でキャリアを築くことができて、とても恵まれていたと思う」と感謝する。

 北海道に移籍した日本ハムは、これまでダルビッシュ有投手(パドレス)、大谷翔平投手(エンゼルス)らメジャーでも活躍するスターを輩出している。「今現在、球界最高の選手はオオタニサンだ。そのことを私はうれしく思う。私が日本でプレーしていた時代は、(NPBのことは)こちらではさほど評価されていなかった。チームメートだったニシザキ(西崎幸広)。彼も米国で通用したと思うよ。彼はそれくらいよかった。そしてユキオ、カズも通用しただろう」。

 海の向こう側でも感じる古巣の凄さ。駐米スカウトという立場で、恩返しをする日々だ。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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