歓喜の全国V直後…主将に待っていた“試練” 雨中の戦いが招いた不運「つらい1周」
山崎隆造らを擁する崇徳は1976年選抜大会に初出場…優勝を飾った
憧れの甲子園で思う存分プレーした。元広島で野球評論家の山崎隆造氏は崇徳(広島)が1976年選抜大会優勝を成し遂げた時の主将で「1番・ショート」だった。念願かなった夢舞台。「選抜初出場だし、試合ができるだけでうれしくて……」という中、勝ち進んでいったが、この大会前後にもいろんなドラマがあった。9回2死から逆転した2回戦、ズシリと重かった優勝旗、思い出の“凱旋パレード”……。どれも忘れられないという。
1975年、山崎氏が高校2年の秋から崇徳の快進撃は始まった。秋の広島大会、中国大会、春の選抜大会、広島大会、中国大会、夏の広島大会に優勝した。「秋はまずリーグ戦をやって、その1、2位が(県大会の)トーナメントに行ける流れ。最初、後に中日入りする高元(勝彦=1976年ドラフト5位)がエースの廿日市高に負けたけど、僕らのチームはその時と(1976年)夏の甲子園(3回戦)の海星(長崎)戦の2敗しかしなかった」。
もっとも選抜出場決定時には、そんなことになるとは思ってもいなかった。「優勝なんておこがましい。口に出した覚えもないですよ」。選抜1回戦は高松商(香川)に乱打戦の末、11-8で勝利。エースの黒田真二投手(元ヤクルト)が打ち込まれたが、山崎氏ら打線がカバーした。その後の黒田は快投の連続。だが、鉾田一(茨城)との2回戦は危なかった。0-1で迎えた9回表、山崎氏が三振して2死走者なし。そこから4点を奪っての逆転勝ちだった。
「もう整列して終わりじゃって感じで準備していたら、2番の樽岡の何でもないファーストゴロを一塁手がトンネルして、そこから大逆転。(崇徳の)久保監督が“広島駅まで着いていたのが引き返して来た感じ”みたいなニュアンスで言ってましたけど、まさにそんな心境でしたね」。鉾田一のエース・戸田秀明投手は糸魚川商工(新潟)との1回戦でノーヒット・ノーランを達成した左腕。相手のミスがなければ負けていた試合だった。
感動的だった…トラックの荷台に乗って広島市内をパレード
このギリギリの勝利が崇徳を勢いづかせた。「本当は終わっていたんだからダメ元じゃないけど、ヨーシって感覚にはなりましたからね」。準々決勝は福井に4-0、準決勝は日田林工(大分)に3-1、そして小山(栃木)との決勝は5-0で制した。エースの黒田は準々決勝を2安打完封、準決勝6安打完投、決勝は3安打完封と見事なピッチングを披露した。崇徳打線も準々決勝から14安打、11安打、13安打と大爆発しての優勝だった。
雨中の決勝戦後、主将として優勝旗を授与された閉会式も山崎氏はよく覚えている。「雨に濡れたというのもあったのかもしれないけど、優勝旗が重くて、重くて……。行進では最初はかっこよく持っていたのに、最後は抱きかかえるようになってしまったんですよ。何とかグラウンドを1周したという感じでした。あれはつらい1周でしたね」。歓喜のVの後のまさかの“試練”だったわけだ。
大会後、新幹線で広島に帰った時は大フィーバーだった。「すごい数で出迎えられて……。駅で優勝報告をして、トラックの荷台に乗って市内をパレードしました。カープが初優勝した次の年なんで、もの凄く広島が野球で盛り上がっていた時期だったんですよ。カープの優勝の余韻が残っていた中で僕らが優勝したんでね」。荷台から見たあの時の光景を忘れることはない。それくらい感動的な出来事でもあった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)