名将の初陣で“疑惑のアーチ” 視聴率約40%…後輩にも語り継がれた「おいしい開幕投手」

元ヤクルトの内藤尚行氏【写真:小林靖】
元ヤクルトの内藤尚行氏【写真:小林靖】

自分で開幕投手をバラしたのに報道陣は無視

 ヤクルト、ロッテ、中日の3球団で11年間にわたって活躍した、現・野球評論家の“ギャオス”こと内藤尚行氏。初めて開幕投手を務めたのは、ヤクルト・野村克也監督就任1年目の1990年のことだった。「開幕戦の1週間ほど前、投手コーチが『開幕戦はお前でいくらしいぞ』と言ってきました。思わず『おい、その情報は確かじゃないのかい?』って突っ込みを入れたくなりましたが……」と、笑いながら当時を振り返ってくれた。

 当時は予告先発はなかった。本来なら開幕投手候補が報道陣に追われるのが常なのだが、内藤は完全ノーマークだった。なぜなら「巨人打線には左投手が有利だ」という野村発言に、報道陣は完全に煙に巻かれていたからだ。

 メジャー通算133勝の新外国人左腕フロイド・バニスターが当確だとされた。巨人もサウスポー対策で、1番・川相昌弘(右打者)、2番・篠塚利夫(現・和典、左打者)と本来の打順をひっくり返してきた。その打順変更が、結果的に後述する「疑惑のアーチ」の遠因にもなる。

 ただ、こうなると生来が目立ちたがり屋の内藤は面白くない。「開幕戦前日の練習時、テレビカメラの近くで、『僕が開幕投手なのになあ』とつぶやいたんです。でも、報道陣に完全スルーされました(笑)」。

審判4人制の副産物…伝説の「疑惑のアーチ」が飛び出す

 迎えた1990年4月7日の開幕戦、巨人戦(東京ドーム)。開幕投手・内藤の好投によりヤクルト3対1で迎えた8回裏2死二塁。2番・篠塚がライトポール際へ大飛球を放った。ファウルと思われたが、一塁塁審は本塁打とジャッジした。

「僕はなんで? ファウルでしょ、と思わずマウンドにひざまずいて、うずくまりました」。右翼手・柳田浩一もファウルのジェスチャー。テレビの再生VTRでもファウルに見えた。

 プロ野球ではこの年から審判「6人制」から「4人制」へと変更され、外野の線審が廃止された。よりによって、その開幕戦でいきなり「疑惑のアーチ」が飛び出してしまったのだ。当然、現在の「リクエスト制度」はない。

 打たれた直後、内藤に思い浮かんだのは1978年日本シリーズのヤクルト―阪急戦(後楽園球場)だった。大杉勝男のレフトポール際の本塁打に対し、上田利治監督(阪急)が「ファウルだ」と、1時間19分も粘り続ける大抗議をした。

「ノムさんのヤクルト監督1試合目だし、同じ巨人の本拠地で、1時間半ぐらい粘るかな」と内藤は思ったという。しかし、野村監督の抗議はそこまで長引かず、3対3の同点で試合再開。結局、延長14回、ヤクルトは押し出し四球で3対4とサヨナラ負けを喫するのであった。

打った本人も次世代の若手も…巨人の選手がこぞって「ファウルだ」

「前年の20勝投手・斎藤雅樹さんを相手に、開幕投手として延長11回まで投げたという意味からすれば100点満点でした」。そして時がたつにつれ、内藤の心境は変化していく。大誤審ではあったが、「リクエスト制度」がある現在なら、大きく取り上げられていない。

 開幕戦中継の解説は長嶋茂雄だった。「あの調子で『う~ん、どうでしょう。打球がポールをまいたんですかね。微妙なコースですよね~』と言ってくれていました(笑)。でも、当時ヤクルトに在籍していた(息子の)一茂さんが『家でオヤジが、あれファウルだったなと言っていたよ』と教えてくれました(笑)」。

 開幕日、ナイトゲームはその日1試合。瞬間最高視聴率は39.5%だった。

 打った篠塚本人も引退後のテレビ番組で「あれはファウルでしたね」と、あっけらかんと話し、同席していた内藤も「打った当事者がそんなこと言っちゃっていいの?」と目が点になった。日本テレビのG+(ジータス)で過去の開幕戦特集の映像を見たアレックス・ラミレス(当時巨人)も話しかけてきた。「ミスター・ナイトウ、アレハ、ファウルネ」。坂本勇人も同様だった。

 現役時代に「ギャオス内藤」が開幕投手を務めたことを知らない次世代、若い世代の選手たちが、伝説の開幕戦の歴史を振り返ってくれる。「通算36勝の投手がプロ野球界の後世にまで名を残せました。今考えれば、目立ちたがり屋の僕にとって、これ以上ない『おいしい開幕投手』だったのです」。(文中敬称略)

【写真】“名将の教え”が几帳面な字で…内藤尚行氏がヤクルト時代に記した「野村ミーティングノート」

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