誘惑で辞める寸前から中1で日本代表のエースに 異国で痛感した理不尽な“ハンデ”

中日で活躍した川又米利氏【写真:山口真司】
中日で活躍した川又米利氏【写真:山口真司】

川又米利氏は「調布リトル」で小6、中1と連続日本一を経験

 小学生時代から国際試合を経験した。元中日の強打者で野球評論家の川又米利氏は少年野球の名門「調布リトル」出身で、中学1年時にはエースとして活躍した。「最初は背番号103だった。小学6年で補欠でしたけど、当時の14人のメンバーに入れて13番をもらった。いろいろ経験させてもらいました」。小6、中1と日本一になり、極東選手権にも出場。「6年の時はグアムで、中1の時は韓国でありました」。もっとも、それまでに挫折しかけたことがあったという。

「調布に入ったのは小学3年生だったかなぁ。先輩の方がやられていると聞いて、入りたいって思ったんです」。順調に上級生への階段を上っていったわけではない。練習に行かなくなった時期があった。「練習は土日だったけど、4年生くらいの時に土曜日になると、子ども心にどこか遊びに行きたいとか、友達と遊びたいというのがあって、急にお腹が痛いとか言って休んだりしていた。その繰り返しでちょっとの間、行かなかったんです」。

 状況的にはやめる寸前だった。「でも、やっぱりやめたくはなかったんでしょうね。父親に『もう1回やってみろ』と言われて素直に行ったわけですから。ただ、もはや1人で行けるような状態ではなかった。父親と一緒に行って『もう一度お願いします』という感じだったと思う」。ギリギリのところからの復帰だった。しみじみと「続けてよかったって思うよね。そこで、やめていたら、今はないのだからね」と口にした。

 その後、巻き返して小6で控えながらメインの調布メンバー入りを果たし、中1ではエースになった。「運がよかっただけですよ」と謙遜するが、その戦績はすさまじい。小6で日本一を経験し、極東大会に。日本、台湾、韓国、香港、グアム、フィリピンが出場した。「台湾が強くて4勝同士で対戦したけど、スコールでコールドゲームになって負けた。あの時は勝てると思ったんだけどね」。

中3時に「調布シニア」でも日本一…中軸打者として活躍

 中1の時も日本一から極東大会の流れは同じで、今度は台湾と韓国に敗れた。「当時は台湾がめちゃくちゃ強くて、僕が投げて0-4で負けたんだけどね。でも、バットがね、僕らは木だったのに、相手は金属を使っていたんだよ。これハンデじゃんって思ったけど、僕らは金属を持ってなかったしね」。

 極東大会で優勝すれば、米国でのリトルリーグ・ワールドシリーズに出場できたが「(4歳年下で早実の後輩)大ちゃん(荒木大輔氏=元ヤクルト、横浜)が小6の時に調布として世界一になったんだよね」。川又氏は荒木大輔氏の兄・健二氏と同学年で、調布でも早実でもチームメート。「大ちゃんのことも知ってはいた」そうだ。

 川又氏は中2から調布シニア入りし、中3で日本一に。「ここも練習は土日。もうピッチャーではなく外野だった。クリーンアップを打っていたと思う」。高校は早実で甲子園に春2回、夏2回出場。高校の先輩の王貞治氏にちなみ、「王2世」と騒がれて中日入りしたが、少年時代から光るものはあったのだろう。

 早実OBで巨人打撃コーチ時代に王氏を指導したことで知られる荒川博氏との縁もあったという。「確か中1の時、荒川さんが調布のイベントにゲストとして来られていて教わったんです。後になって、凄い方に教えてもらったんだって知った。一本足で打てとは言われなかったけどね」。すべては野球を続けていたから実現したこと。小4の時にやめなくてよかった。川又氏は心底、そう思っている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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