鎌ケ谷で奮闘も「まだまだやらないと」 15年目の“初アーチ”直後に見た中島卓也の真髄

西武との2軍戦で本塁打を放った日本ハム・中島卓也【写真:羽鳥慶太】
西武との2軍戦で本塁打を放った日本ハム・中島卓也【写真:羽鳥慶太】

鎌ケ谷で腕を磨き、レギュラーとなった中島…2軍戦では初のフェンスオーバー

 8月17日に千葉・鎌ケ谷で行われた日本ハムと西武の2軍戦で、選手たちも驚く「珍事」が起きた。しつこくファウルで出塁を狙う“カット打法”で有名な中島卓也内野手が、プロ15年目でイースタン・リーグ初アーチを放ったのだ。「鎌ケ谷であの風なら、行くかなと思った」というほどこの球場を熟知しているものの、ダイヤモンドをゆっくり1周して生還するのは初めて。その裏で感じている変化とは――。

 昔、日本ハムで現役だった頃の金子誠(現ロッテコーチ)に、こんなことを言われたことがある。

「俺みたいな9番バッターが打つと、試合が荒れちゃうんだよ。だから打たないほうがいいの」

 冗談混じりだったが、理由を聞くとなんとなく納得できた。打つべき人が打ち、抑えるべき人が抑えているうちは試合はテンポ良く進むものなのだという。それが一度、伏兵のバットが火を吹くと、風雲急を告げる。風も流れも変わってしまうのだ。

 中島は1軍でも通算1226試合、3615打席で通算2本塁打。イースタンでの本塁打は通算344試合、1271打席目で初めてだ。そこで飛び出したコメントは、かつての金子誠とうり二つだった。「入ったのはたまたまですけど、みんなびっくりしてましたね。だから試合が荒れちゃったのかもしれません」。中島の一発は、3-6から同点に追いつく3ラン。試合は延長にもつれ込み、引き分け寸前の11回に梅林優貴の犠飛でサヨナラ勝ち。誰も予期できなかった一発は、日本ハムに力を与えた。

 6回、遊撃守備から途中出場し、その裏の1死一、二塁で打席に入った。巨人の左腕・大江竜聖投手のスライダーを捉えると、打球は右翼フェンスの向こうへ。腕を下げて投げる変則左腕から、技ありの一発だ。「森福(=允彦、元ソフトバンク)さんとかと、いっぱい対戦してきましたから」。経験を積み重ねたからこそのスイングだった。

5月に昇格も怪我で2軍へ「ここに来ると自分の時間が増えますから」

 中島がプロ入りしたのは2009年のこと。最初は打撃練習でボールが前に飛ばないほど、プロのボールに圧倒された。担当の岩井隆之スカウトが見込んだ好守で居場所を作っていき、やがて1軍に欠かせない戦力となった。狙い球をひたすら待つ“カット打法”でも話題となり、2015年には盗塁王とベストナインを獲得。翌年は日本一の主力メンバーとなった。当時のレギュラー野手で、今も日本ハムに残る「最後の1人」でもある。

 近年は1軍出場が減ってきていた。今季も1軍では8試合に出ただけ。5月9日に昇格したものの左脇腹を肉離れし、5月25日に登録抹消された。新庄剛志監督が就任した昨季からは外野守備にも取り組み、出番を増やそうとしてきた中での故障だった。

「もちろん怪我をしたことはショックでしたね。でも2、3日で切り替えました。ここに来ると自分の時間が増えますから。守備も打撃も、何が変化していくのか考えないといけないところですし」

 怪我が癒えると、2軍戦を終えるたびに屋内練習場へバットを持って消えていく姿があった。「バットのヘッドが寝たスイングになっていたので、それを修正したらいい感じになった」。灼熱の夏を迎えて、打撃の調子は上昇気配だ。「1軍でホームランを打った時も、そんなに調子がよくなかった気がするんですよね」と、2017年、2018年とソフトバンクを相手に放った一発を振り返る。

「まだまだ、やらないといけませんから」変わり続ける中島に注目

 来年1月には33歳となる。2軍の稲田直人コーチには「30を過ぎると“来る”ぞ」と聞かされた。「若い時みたいに足も動きませんしね……。この1、2年は、守備でも昔では考えられなかったことがありますよ。ノックでこう捕りたいと考えて動いても、腰が下りないとか。1歩目が出ないとかもあるんで」。日本ハムの若い野手陣では、とうに年長者の部類だ。

 かつて見たベテランたちの姿も、頭に浮かぶ。遊撃に立つ大きな壁だった金子誠は「まだまだ両手で捕れという時代に、シングルハンドで捕るプレーが多かった。今考えると、足が動かないと捕れないんですよ。すごいですよね」。年を重ねてのプレースタイルを模索する上でのお手本は、頭の中にたくさんある。

 本塁打を打ったところで「打撃は何も変わらない」という。その後の打席こそが真骨頂だった。8回には無死一塁から送りバントを決め、延長10回、2死一塁の打席は中前打でつないだ。「塁に出ることが自分の仕事」という中島にとっては、ある意味本塁打よりも納得できる“仕事”だったのかもしれない。

「まだまだ、やらないといけませんから」

 灼熱の2軍のグラウンドで、変化を感じながら変わり続ける中島。きっとまた、1軍のグラウンドに帰ってくるはずだ。

○筆者プロフィール
羽鳥慶太(はとり・けいた)名古屋や埼玉で熱心にプロ野球を見て育つ。立大卒業後、書籍編集者を経て北海道の道新スポーツで記者に。北海道移転以降の日本ハムを長年担当したほか、WBCなどの国際大会やアマ野球も取材。2018年には平昌冬季五輪特派員を務める。2021年からCreative2で活動。

(羽鳥慶太 / Keita Hatori)

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