まさかの満塁弾に長嶋監督は「奇跡」連発 “本塁打ゼロ”男が生んだ好結果に「それも失礼(笑)」
元巨人・緒方耕一氏は1994年日本Sで決勝アーチ レギュラーシーズンは本塁打0
現役時代に巨人で盗塁王のタイトルを2度も獲得した野球評論家の緒方耕一氏は、ホームランでも印象的な活躍を残している。1994年の日本シリーズでの満塁本塁打は、長嶋茂雄監督が指揮官として初めて日本一に輝く流れを呼び込んだ。緒方氏が「もし、僕が監督だったら自分には代打を出したかなぁ」と驚嘆する一発を回想する。
「うわっ、俺チャンスだよ。おいしい。だけど絶対に“デーブ”が出て来るよなぁ」。その時、緒方氏は代打を送られるのを覚悟していた。「でもベンチから引き止められないから、『えっ、ラッキー。打席に立てるんだ』って嬉しかったですね」。
西武と2勝2敗で迎えた第5戦(西武球場)。1-1の6回2死満塁だった。堅守の緒方氏は、5回にダン・グラッデンに代わって左翼に入ったばかりで最初の打席。相手は左腕の杉山賢人で、巨人は前夜に“デーブ”こと大久保博元が杉山から本塁打を放っていた。
短期決戦の重大な局面。だが、緒方氏は重圧を感じていなかったという。
「ノーアウト、1アウトなら得点圏の走者をどうにかして還さないといけないと強く思うんですが、2アウトは犠飛も併殺崩れもない」。シンプルに打つことだけに集中できた。その上で「考えたのは見逃し三振とか、くそボールを振ったりとか、どん詰まりしてとか、カッコ悪いアウトは駄目だと。せめていい当たりをして、みんなが惜しかったなと言ってくれるようなアウトしか想像しなかったです。ヒットは頭になかった」。普段通り、黒い手袋をはめてバットを短く持った。
平行カウントで狙った真っ直ぐ 打った瞬間は「カッコいいアウトで終われる」
黄金時代の西武を支えた伊東勤捕手は熊本工高の先輩。杉山とのバッテリーに2球であっという間に追い込まれた。「スライダーが当たらないんですよ。初球はほとんど空振りみたいなチップで、バックネットへのファウル。次もスライダーで空振り」。
ここから緒方氏は気持ちを1球ごとに整理した。「一番嫌なのは手が出ない見逃し三振。一番速い球、ストレートに合わせていったら3球目はボール。ウエスト、見せ球。これは定石だなと思って次の4球目も真っ直ぐと考えていたら、その通りでしたが、ボールだった。それでむちゃくちゃ気が楽になったんですよ。3球三振はないし、平行カウントまでいったから、これで五分五分ぐらいになったと思いました」。
そして決着の5球目。「スライダーは当たってないけど、1、2球目に振っているから何となくタイミングはわかっている。ストライクゾーンで見ていないのは直球。待ち構える意識として真っ直ぐの割合を強くしたら、そこに真っ直ぐが来てくれたんです」。
内角高め。緒方氏がコンパクトに振り抜いた打球は左翼へ高々と舞い上がった。その年、レギュラーシーズンでは本塁打0。「打った瞬間は、ホームランの手ごたえはないですよ。あー良かった、三振じゃない。捕られてもファンも納得だろう。カッコいいアウトで終われるよと思って打球を見てました」。
しかし、本人の感覚を超えて打球はどんどん伸びる。西武のレフト・吉竹春樹がフェンスをよじ登り、さらにはジャンプまでして懸命に差し出したグラブを越えて観客席に飛び込んだ。約3万1千人が詰めかけた球場は、歓声がなかなか収まらなかった。試合に9-3で勝ち、日本一へ王手。長嶋巨人は東京ドームに戻って2日後の第6戦も制し、頂点にたどり着いた。
そのまま打席に送り出してくれた長嶋監督の采配。「理由は聞いてないですけど。だけどその頃、僕は練習とかでもすごく状態が良かったんです。当時ヘッドの須藤豊さん、打撃コーチの中畑清さんから『緒方を使いたい』とずっと言って頂いていて。そういうのがベンチでやり取りがあって『緒方を行かせよう』となったのか。長嶋さん本人が僕が調子がいいって見抜いていたのか」。緒方氏は首脳陣に感謝する。
緒方氏はヒーロー翌日の新聞各紙の内容をはっきり覚えている。「監督、僕のことを『ミラクルボーイ』って仰ってるんですよ。奇跡だ、奇跡だと。それも失礼じゃないですか(笑)」。期待されていたのか、そうじゃなかったのか。楽しそうに述懐していた。
(西村大輔 / Taisuke Nishimura)