先の見えぬ暗闇を抜けた剛腕・由規 早すぎる“別れ”も…悔いなき異国での挑戦

8月まで楽天モンキーズでプレーした由規【写真提供:楽天モンキーズ】
8月まで楽天モンキーズでプレーした由規【写真提供:楽天モンキーズ】

由規は台湾プロ野球・楽天で8月28日に登板…1/3回を2失点で退団となった

 かつてヤクルトなどで活躍した由規投手は今夏、台湾プロ野球の楽天モンキーズと契約した。しかし、外国人登録枠に残ることはかなわず8月31日に退団。新天地での挑戦はわずか1試合登板で終わった。33歳の右腕は今、何を思うのか。台湾での経験や今後について語った。

 由規は宮城・仙台育英高で3度甲子園に出場。2007年の高校生ドラフトでは5球団から1巡目指名を受け、ヤクルトに入団した。2010年に161キロを計測するなど剛球投手として活躍も、度重なる怪我に苦しみ、ヤクルトと楽天で戦力外を経験。2021年からはプロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの埼玉武蔵でプレーしていた。

 NPB復帰を目標にプレーしていたが、1年目は叶わず、2年目からはコーチを兼任していた。そんな中、楽天モンキーズからオファーを受け、「びっくりしました」と振り返る。「若い選手を指導しなければいけない立場で、その選手たちを置いて台湾に行くことはチームにも迷惑をかけると思いました。でも評価していただいた以上、快く引き受けてすぐにでも行きたいと思いました」。

 チームに合流してからは、まず通訳に全員の背番号と名前の呼び方を教えてもらい、携帯電話にメモした。「普段からコミュニケーションを取ろうと思ってやっていたら、何とかなるなと思いました。みんな積極的に声をかけてくれたので、何不自由なく野球に打ち込めました」。だが、2軍で5試合に登板して防御率5.56。ボールやマウンドの違いに苦労した。

「ボールは握った感触が全然違って、滑りやすかった。マウンドの硬さも違いました。NPBに所属していたらマウンドの違いもそんなに気にならなかったのかもしれませんが、BCリーグでは学生が使うようなグラウンドでプレーしていました。それもあって、最初は投球のリズムにずれがありました」

 8月28日に本拠地で行われた富邦ガーディアンズ戦。7点リードの9回に1軍での登板チャンスが訪れた。NPBの楽天時代の2019年以来4年ぶりとなる1軍マウンドだったが、味方のエラーもあり、1/3回を投げて3安打2失点で降板。生き残りへアピールできなかった。

怪我に泣かされた野球人生「体が元気なうちは投げ続けたい」

「準備だけは怠らないようにしていました。投げるか投げないかも、どういう展開で投げるかもわからない。それでも、気持ちを切らさずにやっていた結果、最後にチャンスが回ってきた。投げられてよかったなと思います」

 エラーをした朱育賢(ジュー・イーシエン)内野手とは仲が良く、試合後に食事に行く約束をしていた。「僕以上に気にしていたので『気にするな』と言いました。あそこで3人で抑えていたら『抑えた』ということで終わってしまうけど、これからは『あの時エラーしたじゃん』という話で盛り上がれると、笑い話をしました」。久しぶりの1軍のマウンドを楽しんだが、登板はこの1試合に留まり、退団が決まった。

「ヤクルトでリハビリしている時は、何をやっても上手くいかなかった。なんとか打破しないといけないという状況が一番苦しかったです。でも、諦めずにやっていたら、また1軍の舞台で1球でも投げられるんじゃないかと思ってやっていました。育成から支配下に復帰して1軍で投げた時のことは、今でも鮮明に覚えています。『またあの舞台で』という思いが今に繋がっている。こうしてまた1軍で投げられた。諦めずにやってきて良かったと思います」

 今年の夏の甲子園決勝。母校の戦いを台湾で見ながら、脚光を浴びた16年前の夏を思い出した。自身が記録した甲子園最速155キロは、いまだに破られていない。「速い球で打者をねじ伏せたいという気持ちは常にあります」。今もなお挑戦を続けるのは、純粋に野球が好きだからだ。

「怪我で人より野球をやっていない時期が長かった。ずっとやりたくてもできなかったから、体が元気なうちは投げ続けたいと思っています」

 そう話す右腕はまだ33歳。台湾での経験を力に変え、これからも腕を振り続ける。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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