「オオタニがいなくなっても来るの?」 ハッとした球団広報の言葉…二刀流を追った3か月

エンゼルス・大谷翔平【写真:ロイター】
エンゼルス・大谷翔平【写真:ロイター】

“偽100万円”からスタートしたエンゼルス・大谷への取材

 9月10日(日本時間11日)、記者の約3か月に渡るエンゼルス・大谷翔平投手の現地取材が終わった。3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)から始まり、本塁打キングを独走、そしてチームの大失速、解体、靱帯損傷の発覚……。大きなアップダウンを繰り返した今季を間近で見てきた。9試合連続で欠場し、改めて今までの活躍がいかに異次元だったかを思い知らされた。

 記者の大谷取材は“偽100万円札”からスタートした。5月5日(同6日)、チームがサヨナラ勝ちを収めた試合後だった。突然近寄って来て「おめでとうございます」と渡されたのは、札束だった。よく見ると「見本銀行券 百万円札」と書かれたメモ帳。「本物かと思いました?」。イタズラっぽい笑みを見せていたが、慣れないメジャー取材をする記者への気遣いだったのかなと思う。

 シーズン序盤の大谷は感情的だった。貯金は最大8になり、首位に肉薄することもあった中で、自身も6月には月間自己最多となる15本塁打を放つなど、打撃も波に乗っていた。6月12日(同13日)からの敵地・レンジャーズとの4連戦。大谷は当時首位を走るチーム相手に4試合で4本塁打を打ち、チームは3勝1敗と勝ち越した。その時、今年はなぜそこまで感情的になっているのかと聞いたことがある。その時の大谷の答えがこうだった。

「毎年毎年、1試合1試合頑張ってはいるので。ただ首位のチームなので、ここで勝ち越すのは今後に大きいのかなと思いますし、実際に勝ち越して(チームの)モチベーションも高いと思うので。明日以降がもっともっと大事かなと思います」そして、「今日は勝ったらいいなという、それだけですし」とも付け加えた。

 明確な答えは明かしてくれなかったが、当時の大谷は自然と感情的になっていたようにも思える。7月に入り記者は約1か月ほどエンゼルスから離れていたが、その間にアンソニー・レンドン内野手、マイク・トラウト外野手、ブランドン・ドルーリー内野手が続々離脱。トレード期限前に“買い手”になり、積極補強に踏み切ったが、決断むなしくチームは大失速した。

エンゼルス・大谷翔平【写真:川村虎大】
エンゼルス・大谷翔平【写真:川村虎大】

8月に再渡米し、大谷の表情にあった変化

 8月上旬。記者が再渡米すると、チームは56勝55敗の地区4位に沈んでいた。首位のレンジャーズとは8.5ゲーム差。その後も負けが込み、負傷者も続出。8月23日(同24日)のレッズ戦では、大谷自身にも靱帯の損傷が発覚した。その1週間後の29日(同30日)には、マット・ムーア投手ら主力6選手がウェーバーにかけられ、わずか1か月でチームは解体された。

 再び対面した大谷は感情的、というよりは笑顔が多く見られた。靱帯損傷が発覚した後も、レッズの新スター、エリー・デラクルーズ内野手と塁上でツンツンし合ったり、クラブハウスでも同僚のマイク・ムスタカス内野手とゲームの話を楽しんだりしていた。この時は、沈黙するチームを明るくしようとしていたのかと、そう思った。

 あるとき、球団広報の一人に冗談半分で言われてハッとしたことがある。「オオタニがいなくなってもここに来るのかい?」。エンゼルスの番記者をしている日本メディアは皆、大谷がいるからこのチームの取材に来ている。記者もその一人で、「また来るよ」とは言えなかった。それでも、英語のフォローまで、たくさんのサポートをしてくれた球団の広報には感謝しなくてはいけない。

 初めてのメジャー取材は、様々なトラブルがあった。慣れない移動手段や食事、過密スケジュールに難しい他国の選手とのコミュニケーション。そんな中、好結果を残してきた日本人選手の凄さを改めて感じることができた。右肘靱帯の損傷や今オフのフリーエージェント。激動の1年を終え、大谷がどんな決断をするのか――。きっと多くの人の予想をはるかに超えた姿で、また戻ってくるはずだ。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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