若き日の立浪監督から夜な夜な「やってくれ」 引退後の人生支えたキャンプの“日課”

中日・立浪和義監督【写真:小林靖】
中日・立浪和義監督【写真:小林靖】

1987年の中日ドラフト1位は立浪監督…同3位の上原晃氏は仲が良かった

 高卒1年目の1988年シーズン後半に1軍昇格。リリーフ投手として星野中日の優勝に貢献した上原晃氏は、沖縄水産から1987年ドラフト3位で入団した。同期のドラフト1位は立浪和義内野手(現中日監督)。1987年の甲子園春夏連覇のPL学園(大阪)の主将を務めた逸材は開幕から「2番・遊撃」でスタメン出場するなどシーズンを通して活躍し、新人王も受賞した。現在、整体師の上原氏はそんな立浪氏と今の仕事にまつわる思い出があるという。

 上原氏が中日入りした時の合宿所は名古屋市西区にあった。屋内練習場に隣接。「僕は一番右端の201号室。角部屋でした。寮は食事もちゃんとしているし、お風呂もサウナもあるし、練習もすぐできるし、すごくいい環境でやらせてもらいました」。同期で同い年の立浪氏とは仲が良かった。「タツ(立浪氏)はすぐ1軍だったので、接する機会があまりなかったんですが、後半に自分が1軍に上がってからは一緒に行動することも多かったですね」。

 1年目のオフは立浪氏が沖縄の上原氏の実家に泊りに来たこともあったそうだ。「沖縄で自主トレをやった時に何日間かね。その後、僕もタツの実家に行ったこともありましたよ。ポジションも違ったし、ライバル関係って感じでもなかった。キャンプでも2年目以降はタツと同部屋でした。マネジャーに言って、そうしてもらっていたんです」。立浪氏の野球に取り組む姿勢など、刺激も受けたという。

 そんなキャンプで上原氏が真っ先に思い出したのは、寝る前に立浪氏の肩のストレッチをやっていたことだった。立浪氏は1年目のキャンプ中に右肩を痛め、シーズン終盤に悪化。そのせいで2年目は30試合の出場にとどまった。その肩の寝る前のケアを、キャンプ中は同期の上原氏が手伝っていたのだ。

中日で活躍した上原晃氏【写真:山口真司】
中日で活躍した上原晃氏【写真:山口真司】

右肩を痛めた立浪監督のケアを上原晃氏が手伝った

「タツにストレッチをやってくれと言われてね。こういうやり方で、って説明されてやっていました。(1989年から1992年まで中日春季キャンプ地だった)オーストラリア(ゴールドコースト)で、よくやっていた覚えがありますね」

 上原氏は1998年シーズンを最後に現役引退し、整体師に転身。現在、名古屋市守山区の治療院などに勤務しているが「今、こういう仕事をしているのもタツのおかげかなぁって思ったりもしています。半分冗談ですけどね」と笑う。「でも、あの時、ああいうことをやらせてもらったことが、今の自分に役立っているというか、そういうのはありますよ」とも言う。やはり何かしら現在に通じるものを感じてはいるようだ。

 2023年シーズン、その立浪氏は中日監督として、苦しい戦いを強いられている。最近は差し入れとメールだけしかしていない上原氏も同期として、もちろん気になっていることだ。「タツには頑張ってほしいですよね。今はチームを作っている状態っていったらあれですけど……その中で大変だと思います。簡単じゃないですよね」と心配そうに話した。

 整体師であり、東海学園大の投手コーチでもある上原氏は「僕も大学生を教えていますけど、人を育てるのはホント、時間がかかるんでね。そこをどうやって時間内の枠で上げていくかということだとは思いますが……」としみじみ。何とか、この苦難を乗り越えてほしい。「僕は陰ながら今の立場として応援する形ですけどね」。ともに汗を流した若かりし日々を思い浮かべながら、立浪監督のドラゴンズ再建を心から願っている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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