伝説の右腕が受けた3年連続戦力外 “再生工場”でチャンスも…運に見放された最終年|球界群像 上原晃#14
元中日・上原晃氏【写真:山口真司】上原晃氏は1996年オフに中日、1997年オフに広島から戦力外になった
やれることはすべてやったが……。現在は整体師として活躍し、東海学園大で投手コーチを務める上原晃氏は、沖縄水産からドラフト3位で中日入り。ルーキーイヤーの1988年はシーズン後半からリリーフとしてリーグ優勝に貢献した。そんな輝かしい実績の持ち主も、プロ5年目の1992年に血行障害を患い思うような投球ができなくなった。1試合の登板に終わった9年目の1996年に戦力外通告。それでも諦めなかったが、現実はシビアだった。
1996年は星野仙一監督が復帰したシーズン。上原氏は恩師の下で復活を期したが、結果を出せなかった。6月11日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)に、5-9の9回に7番手で登板したが、1回を2失点。この年の1軍登板はこの試合だけに終わった。何とかチャンスを得ようと頑張ったが、声がかかることはなかった。「2軍でもあまり投げさせてもらえなかった。本来のボールじゃなかった。星野さんにもそう見えたんだと思います」。
待っていたのは戦力外通告だった。「そろそろかなって覚悟はしていました。9月頃だったかなぁ、球団に呼ばれて言われました。星野さんに獲ってもらって、最後も星野さんで、という形で……」。でも野球をやめるつもりはなかった。広島のテストを受けることにした。「(沖縄水産監督の)栽(弘義)先生に相談したら『いいんじゃないか、そこでチャンスをもらってみたら』と言われた。カープは高校の時に僕を買ってくれていたそうなんです。拾ってもらいました」。
1998年は燕で野村野球を経験…オフにロッテ移籍を模索も実現せず
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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