中日から2度打診も…信念貫き“伝説の助っ人”へ 日本挑戦の裏に譲れないこだわり
元西武のデストラーデ氏、1990年の日本S第1戦の先制3ランは「サインは“待て”だった」
かつて西武黄金期を助っ人として支えたオレステス・デストラーデ氏が27日、本拠地・ベルーナドームでの西武-楽天戦前にトークショーやセレモニアルピッチなどを行い、ファンの歓声を浴びた。1989年途中、6月に西武に加入すると、来日1年目からアジャストし、翌1990年から3年連続本塁打王と2年連続打点王に輝いた。1993年から2年間メジャーリーグに活躍の舞台を移した後、1995年に西武復帰を果たし1年間プレーしている。
27日の試合開始前、スコアボード裏の特設ステージでのトークショーに登場。通訳を伴いながらも、9割は日本語で通し、冒頭から「ワタシハ、ニホンゴ、プロペラ。ペラペラ? モウカリマッカ?」とジョークを放って、取り囲んだファンを沸かせた。
米国時代、ヤンキースに在籍していた1987年、パイレーツに移籍した翌1988年には、中日から入団の打診があったエピソードを明かし、「中日ノーサンキュー。パシフィック・リーグだけ」と語った。DH制のあるパ・リーグ球団からのオファーを待って契約したことが、活躍に結びついたようだ。
日本での思い出の中で、デストラーデ氏が挙げる“3大シーン”は、いずれも日本シリーズで放った本塁打だ。1990年から3年連続で、日本シリーズ第1戦初打席に本塁打を放っている。特に巨人と対戦した1990年の第1戦では、先発の槙原寛己投手に対しカウント3-0から先制3ラン。「三塁コーチのイハラさん(伊原春樹コーチ)のサインは“待て”だった」が、構わず打ってスタンドに放り込んだ。同年はシリーズMVPを獲得。1991年には広島・佐々岡真司投手から、1992年にはヤクルト・岡林洋一投手から第1戦の第1打席で本塁打を奪い、「スイートメモリーです」と振り返った。
来年3月16日のライオンズOB戦にも出場決定
日本で成功できた理由は「まずハングリーだったこと。日本の野球を勉強し、ビデオで研究し、コーチのアドバイスをよく聞いたこと」。日本で対戦した投手のうちで特に印象的だったのは、「(対戦は)ノーサンキュー。本当にすごかった」と言う野茂英雄氏(元近鉄)と「打つのが非常に難しかった」村田兆治氏(元ロッテ)の2人。一方、記憶に残っている他球団の打者として、自身と同じスイッチヒッターの松永浩美氏(元オリックス)の名前を挙げた。
61歳になったデストラーデ氏だが、トークショーの最後には、「ブーム!」と叫びながら、独特の弓を引くようなガッツポーズを披露するなど、相変わらずサービス精神満点。ステージを降りる際には、ファンから「オーレ! オーレ!」のコールを送られ、根強い人気を示した。その後、試合開始直前にはセレモニアルピッチに臨み、山なりながらノーバウンド投球を果たした。
球団は、来年3月16日にベルーナドームで開催される初のOB戦『LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024』へのデストラーデ氏の出場決定も合わせて発表。現在は米フロリダ州でMLBレイズ戦解説などを中心に活動しているが、これを機に来日する機会が増えるかもしれない。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)