甲子園は怒号…映像検証なしも覆った判定 外野手の一言が生んだ“6時間26分の死闘”

ヤクルトなどでプレーした飯田哲也氏【写真:荒川祐史】
ヤクルトなどでプレーした飯田哲也氏【写真:荒川祐史】

92年9月11日の甲子園決戦は延長15回ドロー、試合時間は史上最長の6時間26分

 1992年9月11日の阪神-ヤクルト戦(甲子園)は、プロ野球史上最長となる6時間26分の激闘になった。現役時代に盗塁王に輝きゴールデングラブ賞を7度受賞するなど、ヤクルトで走攻守3拍子揃った外野手として活躍した野球評論家の飯田哲也氏はこの試合にフル出場していた。伝説の試合を回想する。

 首位ヤクルトに阪神が1ゲーム差に迫って迎えた3連戦の初戦だった。最終的には延長15回の末、ドロー。「試合が終わった時には、日付けが変わってましたね。長いなーとは感じてたけど。しんどかった。だから展開は、あまり記憶にないです」。しかし“幻のサヨナラ本塁打”の場面は「はっきり覚えています」と力を込める。

 3-3で迎えた9回裏2死一塁。岡林洋一投手の変化球を八木裕外野手が強振すると、大飛球が左翼へ。ぐんぐん伸びる……。追ったレフトの城友博外野手がフェンスに弾き返されて転びつつ、顔を振ってボールの行方を探すもスタンドに飛び込んでいた。

 平光清・二塁塁審は手を回した。八木が島野育夫・三塁コーチと一緒にスキップするように本塁へ向かう姿も見えた。劇的な一発に虎の本拠地が「バンザイ、バンザイ」と揺れる中、飯田氏は平光氏に真っ先に駆け寄った。「打球は直接スタンドインしていませんよ。チェックして下さい」。お立ち台が準備され、スコアボードの9回裏には「2×」の表示があった。

 ボールはラバーフェンス上部に当たって高々と跳ね上がり、フェンス後方に張られている金網を飛び越えていた。

「(角度的に)僕だけが、はっきり見えたと思います。城も正確には多分わからなかったでしょう。野村(克也)監督もベンチから来ましたが、『飯田が何か言ってる』みたいな感じ。絶対見えてないです。僕が言わなかったら、試合は終わってました」。当時はリクエスト制度、リプレー検証などない。いったん下された判定が覆ることは、ほぼあり得なかった。

 ところが、この時は違った。「審判団が集まってくれました。アウトかセーフなら、まず協議はない。けれどホームランか、そうじゃないかは、やっぱりまずかったのではないでしょうか。後でビデオを見ればわかりますし。直接入ってないんですもん。見えていた審判はいたんですよ」。飯田氏が口火を切った抗議は受け入れられ、エンタイトルツーベースとなった。

虎の本拠地・甲子園は歓喜から怒りに…飯田哲也氏「引き分けで良かった」

 平光氏は誤審を認める場内アナウンスを行い、阪神ベンチにも説明に赴いた。それでも甲子園は怒りが収まらない。中村勝広監督は鬼の形相で、グラウンドに乱入するファンも。「そりゃあ、怒りますよね。真弓(明信)さんは、勝ったのでもう風呂に入っていたという噂を後に聞きましたけど」。

 37分間の中断を経て、ゲームは再開された。7回無死一塁からリリーフした岡林氏は15回まで投げ抜き、実質9イニングを“完封”。「延長に突入して以降は、両チームとも疲れ切って体力が無くなっちゃってましたね。ヤクルトが打てる気もしなかったし、阪神に打たれる感じもなかったです」。

 死力を尽くした一戦は決着がつかなかった。「天王山で、もちろん勝つに越したことはなかったですけど……。引き分けで良かったんじゃないですかね。お互いのチームやファンの感情を考えたら。あの後、どちらも得点できず3-3のままで終わった。結果として一番良かったのでは」。

 飯田氏は守備に就いていて「怖かった」という。甲子園のタイガースファンからは、通常でも厳しいヤジが飛んでくるが、よりヒートアップ。「翌日も『てめえ』みたいなのが……。僕も阪神の選手の顔を見れなかったです」。

 同様に燕ナインも気圧されたのか2、3戦目は落とし、以降もこの引き分けを挟んだ連敗は9まで延びてしまった。最後は阪神を再逆転し、リーグ優勝を果たしたのだが。

 飯田氏は今、改めて振り返る。リクエスト、リプレーなき時代に審判団はきちんと訂正した。「アンパイアは本当に大変な仕事ですよ」。

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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