同級生との仲に亀裂…「ラクダにも乗せられた」異常注目度 ドラ1がうんざりした“過熱報道”

阪神、オリックスでプレーした野田浩司氏【写真:山口真司】
阪神、オリックスでプレーした野田浩司氏【写真:山口真司】

1987年ドラ1で阪神入団…野田浩司氏が陥った“マスコミアレルギー”

 1987年ドラフト1位で阪神に入団した野田浩司氏(現・野球評論家)は、初めての関西生活プラス異常なほどの“虎フィーバー”ぶりに戸惑いの連続だった。休日には“ラクダ”、メディカルチェックでは階段からジャンプポーズ……。何より嫌だったのは、高校時代のライバルで同じ熊本出身の遠山昭治投手(1985年阪神ドラフト1位、現・浪速高校監督)と比較されることで、しゃべりたくなくなるほど“マスコミアレルギー”に陥ったという。

 入団発表以来、気を休める時間もなかったといっていい。「必ず、僕にはマスコミの人が何人かついていましたからね」。人気球団・阪神のドラフト1位選手の宿命とはいえ、ストレスになった。「最初、甲子園駅から電車に乗ろうとした時だったですかねぇ。マスコミの人もいる中で、僕は切符をどうすればいいかわからなかった」。自動改札が初めてだった。「多良木の家の近くの東多良木駅は無人駅だったんでね。そんな僕をみんなが見るわけですよ。恥をかきましたね」。

 自主トレ休日の日には「ラクダに乗せられましたよ」。かつて西宮市にあった甲子園阪神パークでのことだった。「それこそ右も左もわからないまま行って、(カメラマンが)乗ってくれって。本当に乗るんですかって聞いたけど、断ることはできなかった」。写真のポーズをとるのは当たり前のようになった。「病院にメディカルチェックに行っても、階段の3段目くらいからジャンプしてガッツポーズとかね。そんなのはホント、よくありましたね」。

 慣れなかった。プロで結果も出していないうちから、注目されるのが苦痛にもなってきた。「遠山ととにかく比べられるじゃないですか、それが嫌でしたね」。高校時代、多良木の野田と八代一(現・秀岳館)の遠山は熊本の2枚看板と言われた。野田氏が社会人・九州産交に進んだ中、遠山氏は阪神にドラフト1位で入団し、高卒1年目の1986年に8勝をマーク。野田氏が2年遅れで同じドラフト1位で阪神入りしたことで、遠山氏との“関係”が取り沙汰されていた。

同郷の同学年・遠山昭治氏とは大喧嘩したことも…現在は良好な関係

「『遠山には負けたくないですよね』って言われて『はい』って言ったら“あんなのに負けられない”みたいな感じになるし『新人王も狙いたいですよね』って言われて『そうですね』って言ったら、もう新人王宣言とかになるじゃないですか。その辺がすごく嫌でした。だんだんしゃべれなくなりましたからね。マスコミアレルギーになるくらいでした」。いくら注目度の裏返しと言っても嫌なものは嫌。結果、マスコミに対する口数がどんどん減っていったそうだ。

 おかげで特に最初の頃は遠山氏ともうまくいかなかったという。「高校時代は2、3回球場でしゃべったくらいだったんですけどね。彼も肥後もっこすというか、ああいう性格なんで、苦労しました。わからないことがあって遠山に聞いても『それは自分で考えぃ』って言われて『なんだこいつ』ってこっちも思ったりね」。マスコミが間に入った“過熱報道”で、2人はバチバチの関係にもなってしまったのだろうか。

「でも球場に一緒にいったり、1軍で一緒に行動することも増えていって、だんだんと仲良くはなったんですよ。野球ゲームしたりとか飯食いに行ったりとか。まぁ、その後もギクシャクした時はありましたけどね。故郷を紹介するテレビ局の企画で、僕と遠山が熊本巡りをしたんです。お互いの実家にも行って……。その収録の途中で大喧嘩しました。僕の社会人の時の先輩に対する遠山の態度が気に入らなくてねぇ。でも、また仲良くなったんですけどね」

 離れたり、くっついたりを繰り返しながら、切磋琢磨しあった仲だった。「ようぶつかる時はあるんですけど、今でも久しぶりに飯でも行こうかってなる関係です」。野田氏はマスコミアレルギーにかかった時期も含めて懐かしそうに振り返った。遠山氏は現在、浪速高校野球部監督で甲子園を目指して奮闘中。野田氏も友人として陰ながら応援している。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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