FA残留も…急転した野球人生「余計おかしく」 狂った歯車、翻弄された残酷な最後の白星

阪神、オリックスでプレーした野田浩司氏【写真:山口真司】
阪神、オリックスでプレーした野田浩司氏【写真:山口真司】

野田浩司氏は遠征で仰木監督の部屋に乗り込み不満をぶちまけた

 言わずにはいられなかった。野球評論家の野田浩司氏はオリックス時代の1997年シーズン、仰木彬監督の采配について直接抗議したことがあった。「同点で代えられることが何回も続いて、納得できなかったんです」。6月の東京遠征中に行動を起こした。同点で降板となった試合後、宿舎の仰木監督の部屋に乗り込んだ。「あんなんじゃ、もう投げられません」。マジシャン指揮官はそんな野田氏の訴えをじっくり聞き、話し合いは1時間に及んだという。

 野田氏は阪神からオリックスに移籍して1年目の1993年から1995年まで3年連続2桁勝利、3年連続200奪三振以上をマークした。フォークが冴え渡り、1995年には1試合19奪三振の日本新記録も達成した。それだけに「最多奪三振のタイトルが欲しかったんですけどねぇ」と今でも悔しそうに話す。ライバルがハイレベルすぎた。1993年は276奪三振の近鉄・野茂英雄投手がおり、1994、1995年はいずれも239奪三振のロッテ・伊良部秀輝投手に勝てなかった。

 そんな中、優勝を経験できたのは何よりもうれしかった。仰木オリックスは1995年、1996年に2年連続リーグ優勝。1996年は巨人との日本シリーズも制した。1996年の野田氏は8勝7敗、防御率3.14。2桁勝利こそ逃したものの、日本シリーズ第3戦で勝利投手になるなど貢献した。だが、翌1997年は仰木監督の起用法に不満を爆発させた。「同点で代えられるのが続いてプライドはズタズタ。完投がない野球なんて面白くない。当時はそれで切れちゃったんです」。

 阪神からオリックスに移籍した野田氏にとって大きなプラスだったのはパ・リーグがDH制だったこと。打席に入らないため、少々の失点で代打を出されての交代がなく、長いイニングを投げることができ、白星にもつながった。だが、相手との相性などを重視する仰木監督は投手交代の見極めも年々、早くなっていた。それが野田氏にはストレスになり、ついにはアクションを起こした。「東京ドームで同点の場面で交代。試合後、仰木さんのところに行ったんです」。

 選手宿舎で仰木監督の部屋に押し掛けた。「『あんなんじゃ、もう投げられません』って言いましたし、気持ちは全部聞いてもらいました。1時間くらい諭されましたね。仰木さんは『お前の言い分はわかるけど、俺の気持ちもわかれ』って。『俺だって(オリックス監督1年目の)1994年はずっと信用して投げさせた。だけど振り返ってみろ、だんだん終盤に打たれるようになっただろ。継投には俺にも自負がある。そこは収めとけ』みたいなことを言われました」。

今振り返ると…「仰木さんが正解でしたよ」

 言いたいことを言ったら、とりあえず気持ちはすっきりしたと言う。「それ以降、交代がさらに早くなりましたけどね。でも1回話しているからもう腹は立たなくなりました。交代する時、仰木さんは僕にニコって微笑みかけるんですよ。“ごめんな”みたいな感じで。まぁ、和解したといっても代えられるのは変わらないんで、それ以降も、やっぱりちょっとギクシャクはしていたのかなぁ……」と野田氏は苦笑しながら話した。

 そして、こう付け加えた。「この件は絶対、仰木さんが正解でしたよ。だって僕、1993年は17勝5敗だったけど、1994年は12勝11敗。11敗しているってことは打たれているってことですよ、中盤とか、終盤にね。だから、仰木さんはだんだん継投を早めた。平井(正史)とか鈴木平とか野村(貴仁)とか勢いのあるリリーフもいたし、それを当てはめて優勝に導いたんですからね。ただ、先発ピッチャーの立場からしたら、当時は納得できなかったんですよねぇ……」。

 そんなこともあった仰木監督との“関係”だが、野田氏は「仰木さんのおかげで優勝できましたからね」と感謝している。もちろん、不満をぶつけても、じっくり耳を傾け対応してくれた、あの日のことも……。

 1997年、オリックスは西武と優勝を争ったが2位に終わった。野田氏は7勝5敗、防御率3.29。9月中旬まで防御率は2点台だったが、最後に数字を落とした。右肘の状態が万全ではなかった。でも大事には至らないだろうと判断。オフにはFA宣言し、他球団移籍を考えたが、最終的にはオリックス残留の道を選択した。

 運命は残酷だ。野田氏の野球人生はここから暗転した。右肘痛との闘いの方が本格化してしまったのだ。「FAで契約してむっちゃトレーニングしたんですよ。もう1回心機一転と思って。そしたら、余計、肘がおかしくなったみたいな感じで……」。まさかの展開だった。FA宣言前の1997年9月27日のロッテ戦(千葉マリン)で挙げたシーズン7勝目が野田氏の現役ラスト勝利になるとは、誰も想像できなかった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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