王貞治と落合博満は「両極端」 “成功”が究極の理論…超一流だけが知る境地とは
初球から振るスタイルで勝負強さを見せた元西武・大田卓司氏
1982年パ・リーグ前期MVP、プレーオフMVP、1983年には日本シリーズMVP……。ライオンズ一筋18年、元西武の大田卓司氏は、「必殺仕事人」の異名を取ったように、無類の勝負強さを誇った。170センチの体格から放たれる力強い打球は、どのような理論から生まれていたのだろうか。
「初球から振る」「ピッチャー返し」。この2つが、打撃における大田氏のポリシーだったという。なぜなら、見逃し三振が嫌いなこともあったが、初球からストライクを振れば3度のチャンスがある。また、投球後に守備態勢をとるのが遅れる分、投手の周囲が一番ヒットゾーンは広い。
3冠王のタイトルを3度獲得したロッテ時代の落合博満に、どんな意識で打席に臨むのかを訊ねると、「まず、フェアグラウンド90度の中に入れなきゃ」。ダイエー打撃コーチ時代に“世界の本塁打王”、監督の王貞治にも聞いた。「ファウルでもいい。とにかくフルスイングだ」。
“育成・再生の達人”である野村克也には「短所を矯正しろ」と教わった。西鉄入団時の監督だった“教え魔”の中西太には「長所を伸ばせ」と教わった。こちらも両極端だ。
大田氏が出した結論は、「好成績が残れば、打撃理論はそれが正解。選手に合った指導法を取る」。ダイエーコーチとして「寄り添う指導」で、1992年に佐々木誠に首位打者を獲らせている。
「お前にだけは」…6大エースの中で最も苦手だった“先輩”
大田氏の現役時代のパ・リーグには「6大エース」が君臨した。通算317勝の鈴木啓示(近鉄)、284勝の山田久志(阪急)、251勝の東尾修(西武)、215勝の村田兆治(ロッテ)、169勝の高橋直樹(日本ハム)、143勝の山内新一(南海)。
「村田兆治さんなんて、フォークボールが来たら打てない。ごめんなさいだった」というが、中でも一番苦手にしたのが、大分・津久見高の先輩でもある高橋だった。アンダースローからのシュートには差し込まれ、外角低めストレートには手が出ない。その内外角のコンビネーションに、してやられた。高橋から初めて打った安打が本塁打で、その夜食事をともにした。「大田、後輩のお前にだけは打たれたくないんだ」。
高橋は1982年途中に西武に移籍し、翌1983年に最高勝率のタイトルを獲得。1985年も含めて3度、大田とともに優勝の美酒を味わっている。津久見高出身のプロ野球選手はほかに、1998年最多勝の川崎憲次郎、2009年首位打者の土谷鉄平ら、そうそうたる顔ぶれだ。
6大エース以外で、大田氏が最も苦手にした投手は、“41歳ノーヒット―ノーラン投手”の佐藤義則(阪急・オリックス)だった。どんなに大田氏が好調でも打てなかった。ある日、ダメ元でこんな作戦を取った。「見逃し三振でもいいから、1打席、全球見逃してみよう」。
結果は、ストレートの四球。図らずも、佐藤の大田氏への攻め方として「ボール球ばかりを振らせる」ことが判明。1球目から振る大田氏と相性がよくなかったのは当然だ。
一方、どんなに不調でもなぜか打てた投手は佐伯和司(日本ハム)。広島時代も含めて2桁勝利5度、通算88勝の実績を持つが、「彼の武器はフォークボールですが、なぜかタイミングが合ったんです」。
現在の大田氏は、野球評論家としてどこかのメディアに登場するわけでもない。それでもスポーツニュースやYouTubeから仕入れる現在のプロ野球界の話題にも敏感で、時折見せる鋭い眼光は、「必殺仕事人」をほうふつとさせた。
(石川大弥 / Hiroya Ishikawa)