運命の瞬間は「勉強しながら」 次の日は卒業試験…医学部生が臨んだドラフト会議
群馬大医学部の竹内奎人のプロ入りはならなかった
史上初の医学部医学科からプロ野球選手の誕生とはならなかった。26日に「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が都内で行われた。群馬大・医学部医学科で準硬式野球部に所属する最速147キロ右腕・竹内奎人に注目が集まったが指名漏れとなった。竹内は「残念という気持ちも半分ありますが、次に向けての切り替えも出来てきました」と、前を向いた。
群馬大の会議室に用意された会見場は、指名された場合のみ会見を行う予定で監督はおろか竹内本人の姿もなくドラフトが始まった。当初、午後7時開始予定だった会見は育成指名が始まっても音沙汰なく、室内は静かな緊張感に包まれていた。「終了が近づくにつれて緊張感は増していきました」と、祈り続けた。しかしその祈りも報われず、12球団の育成指名を含めた選択が終了となった。
実は、この人生が決まる運命の日は、医学部の同級生たちにとっても重要な1日だった。「ちょうど今日、同級生たちは就職試験の結果発表日が重なっていて、昼間はみんなの結果を見届けていました。ドラフト前には『次はお前だな』って声をかけてもらいました」。卒業後は医学の道は“休憩”し、野球に全力を注ぐ決断をした。医者と野球、同級生たちとは違う道を進む決断をしたが、仲間たちは全力で背中を押してくれた。
そんな同級生たちの期待に応える結果とはならなかったが、ずっと落ち込んでるわけにもいかなかった。ドラフトの翌日は大事な卒業試験が控えていたからだ。「みんなで勉強しながらドラフトは見ていました」。長いドラフトの歴史の中でも極めて珍しい、勉強も大変なイメージのある医学部生らしい状況で吉報を待った。
長い時は午前7時30分から午後8時まで実習が入る日もあるという医学部生の生活。精神的にも体力的にも過酷な中で、野球の練習も全力で行ってきた。「医学部生である以上、100%野球だけに時間や労力を割けるわけではありません」と割り切りながらも、練習に間に合わないときは、自主練習も欠かさなかった。そんな努力の日々があったからこそ、納得いく形まで野球を突き詰めたかった。
「国立の医学部生には税金が使われている。それなのに6年間勉強して医者にならないことへの賛否があることは重々承知しています。でも、後悔はしたくないんです」。指名漏れという現実も、医学生であるという現実もすべて真正面から受け止め、未来へ突き進む強い覚悟があった。
(木村竜也 / Tatsuya Kimura)