「ああ、ダメか」胴上げ参加できず校舎裏で号泣 当事者語る「指名漏れ」のその後

大阪桐蔭時代の川原嗣貴【写真:中戸川知世】
大阪桐蔭時代の川原嗣貴【写真:中戸川知世】

ドラフト会議では122人が指名された一方で、名前が呼ばれなかった選手も

「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」では、今年も多くのドラマが生まれた。支配下、育成合わせて計122人のプロ野球選手が新たに誕生した。各地で記者会見や胴上げなどの歓喜に包まれる一方、テレビ画面の前でひたすら自分の名前を待ち続ける選手も。そして12球団目の指名終了の合図とともに、自らの「指名漏れ」の現実を突きつけられることになる。

 10月26日、「運命の日」と称されるように、喜びだけでなく、厳しい現実を突きつけられた選手も多かった。この日、記者は青学大で吉報を待っていた。広島1位の常廣羽也斗、阪神1位の下村海翔の両投手が呼ばれてから、楽天6位で中島大輔外野手が呼ばれるまで約1時間半。喜びと焦りが入り混じったような空間は、1年前と同じだった。

 昨年のドラフト会議。記者は大阪桐蔭高にいた。プロ野球志望届を提出したのは、甲子園、高校日本代表「侍ジャパン」でも活躍した松尾汐恩捕手、海老根優大外野手、川原嗣貴投手の3人だった。上位指名が見込まれていた松尾は会見場で待機。海老根と川原は別室で、指名された場合のみ登壇する予定だった。

 開始直後に松尾がDeNAから1位指名。会見場はどよめきと歓声が沸き起こった。記者会見、写真撮影の流れで進んでいったが、海老根、川原の名前は最後まで呼ばれず。3年生が集まり、集合写真撮影が行われたものの、そこに2人の姿はなかった。

 その後、松尾の胴上げを行うために、メディアは一斉にグラウンドへ。記者は執筆で移動が遅れたが、校舎裏を通った時だった。大粒の涙を流し、車に乗り込む川原に遭遇した。記者に気がつくと、「すみませんでした」。最初に出てきたのは詫びの言葉だった。結局、2人は胴上げに参加することはなかった。

指名漏れから1年…川原が語ったドラフト会議の“その後”

 あれから1年。川原と海老根はそれぞれ社会人野球の強豪Honda鈴鹿、SUBARUに進んだ。今年のドラフト会議ではHonda鈴鹿の森田駿哉投手が巨人から2位指名。「去年は複雑な気持ちは正直ありました。今年は純粋にうれしかったし、喜べました」。川原は先輩の胴上げが終わった夜、1年前の“指名漏れ”を振り返ってくれた。

「悔しさもありますけど、一番は申し訳ないという気持ちでした。3人で喜びたいって気持ちもみんなあったと思うので。何球団かが結構早いタイミング(5巡目)で指名終了ってなって、『ああ、ダメか……』ってなりましたね」

 元々、プロに入るために大阪桐蔭高へ進学したため、進路も1本に絞り、進学などの“保険”はかけなかった。「大学に入るくらいなら『野球をやめよう』という気持ちでした」。しかし、プロの目には留まらなかった。チームメートは続々と進路が決まっていた中、海老根と2人だけ、一からのスタート。「どうしたらいいんだろう」と悩んでいたところに、声をかけてくれたのがHonda鈴鹿だった。

「指名漏れした翌日に声をかけていただいて。必要としてくれたのがすごくうれしかったです。3年後に必ずプロに。そう思うようになりました」。社業と練習の両立は大変だが、自分を律して練習に励んでいる。今年は、プライベートでも仲良くしてくれた先輩の森田がプロ入り。「自分も2年後には胴上げされたい」。さらに思いが強まった。

 今年のドラフトでも、広陵高の真鍋慧内野手は4位までに名前が呼ばれず、会見場から退出。明大の蒔田稔投手は同期4人の中で唯一指名漏れし、「実力不足」と声を絞り出した。一方で、DeNA1位の度会隆輝外野手のように、指名漏れから世代で一番の評価をされるまで成長した選手も。ドラフトは年度ごとの傾向やチームの補強ポイント、他球団との駆け引きと複雑な要素が絡み合う。決して、指名されなかったから駄目でも、終了でもないのだ。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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