優勝の瞬間を見逃した「とんでもない男」 ベンチでぽつん…胴上げ参加できない大失態

日本一に輝き胴上げする広島ナイン【写真:共同通信社】
日本一に輝き胴上げする広島ナイン【写真:共同通信社】

広島は1979年にリーグ制覇…大野豊氏はベンチ待機も監督胴上げに参加できず

 広島OB会長で野球評論家の大野豊氏はプロ3年目の1979年にリーグ優勝、日本一を経験した。58登板、5勝5敗2セーブ、防御率3.84。シーズン当初は先発だったが、途中からリリーフに回り、師匠であるクローザーの江夏豊投手につなぐセットアッパー的な役割をこなした。しかしながら「僕はとんでもない男でしたよ」と何とも言えない表情で話した。広島がセ・リーグを制した優勝決定試合で痛恨の“ミス”。ベンチにいながら歓喜の胴上げに参加できなかったのだ。

 プロ3年目の大野氏は開幕戦の阪神戦(4月7日、広島)で1-4の7回に4番手で登板し、1回1失点。掛布雅之内野手に一発を浴びた。それから3日後の開幕2戦目の大洋戦(4月10日、横浜)には先発して5回3失点で敗戦投手。さらに中4日で4月15日のヤクルト戦(広島)に先発し、7回0/3を4失点。続けて中4日で先発した4月20日の中日戦(広島)は3回5失点でKOされた。現在では考えられないハードワークだが「これで先発失格となりました」。

 リリーフに回って、抑えの江夏氏につなぐポジションが主になったが「これはやりがいがありましたよ」と振り返る。「僕と渡辺(秀武)さんが2人でけっこうやりましたけど、江夏さんにつなげば勝てる、そのためにはどうしたらいいかってね。ただ、内容的には決して良くなかったんですよ。(監督の)古葉(竹識)さんにも『同じ失敗ばかりして』ってよく怒られていましたから。それでも使ってくれたんですよ」。58登板はこの年のリーグ最多だった。

 高橋慶彦内野手が33試合連続安打の日本記録を打ち立てたこの年、カープは優勝した。8月17日の大洋戦(横浜)に4-3。2番手で登板の大野氏が3勝目をマークし、江夏氏が11セーブで締めた試合で首位に立って、突っ走った。歓喜の胴上げは10月6日の阪神戦(広島)。4-3。江夏氏が9回に2点を返されて1点差に迫られたものの後続を断って決まった。この試合、大野氏の登板はなかったが、もちろん、その時に備えてベンチで待機していた、はずだった。

広島で活躍した大野豊氏【写真:山口真司】
広島で活躍した大野豊氏【写真:山口真司】

ロッカーに着替えに行ったのが裏目…試合は終了してしまった

「9回表1アウト一塁。ちょっと寒くなったんで、ロッカーに着替えに行ったんです。で、戻ろうとした瞬間にダブルプレーで優勝決定。ベンチに戻った時にはもうみんなマウンドでワイワイ騒いでいた。タイミング的に出られなくなったんです。(古葉監督の胴上げを)ベンチの後ろの方で見てました。今思ってもとんでもないことをしましたよ」。大野氏にとって初体験の優勝シーン。それがまさかの事態に陥ってしまったわけだ。

「ダプルプレーもあることを考えて行動しなければいけなかったんですよね。その回の始まりに準備して、どういう状況でもスッとグラウンドに出て行けるようにしていればよかったんですが……。自分の考えの甘さというか、判断の甘さというか。もう言いようがなかったですよ、ホントに。情けないやら、間が悪いやら、とんでもない男でしたよ」。まさに痛恨の“ミス”。これもまた、別の意味で忘れられない思い出になっているようだ。

 広島は近鉄との日本シリーズも4勝3敗で制した。1979年11月4日の第7戦(大阪球場)、広島1点リードの9回裏に抑えの江夏氏が無死満塁のピンチを招きながら切り抜けて勝利した伝説の「江夏の21球」があったシリーズだ。「あの時、僕はベンチにいましたけど、異様な雰囲気でしたね。普通の人にはできないような江夏さんのピッチングを見せてもらいました」。日本一の胴上げにはもちろん、加わった。あの失敗は二度と繰り返さなかった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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