9連勝から悪夢の大失速「体がおかしくなる」 原因は不明…止められぬ“負の連鎖”

広島で活躍した大野豊氏【写真:山口真司】
広島で活躍した大野豊氏【写真:山口真司】

大野豊氏は先発に配置転換された1984年、開幕から9連勝もその後は失速した

 夏が終わった頃が課題だった。広島OB会長の大野豊氏はプロ8年目の1984年シーズンから抑えから先発に配置転換となった。いきなり無傷の9連勝をマークし「これは15勝以上は堅いなと思ってやったつもりだったんですが……」。その年はまさかの10勝止まり。「挙げ句の果てには左肩を故障してしまいましたからね」と悔しそうに話す。前半よくて、後半失速のパターンは、この年に限らず、大野氏には多かった。「先行バテ型だったんですよ」と苦笑した。

 1984年の大野氏は開幕4戦目のヤクルト戦(4月10日、神宮)に先発し、5安打完封勝利でスタートした。先発転向が大成功で、そこから破竹の連勝街道を突っ走った。4月はオール完投の3勝0敗で初の月間MVPにも輝いた。延長10回に広島が3-2でサヨナラ勝ちした6月23日の巨人戦(広島)では10回2失点で完投勝利を挙げ、この時点で9勝0敗、防御率は1.87だった。「先発ってこんなにいいのかって思いましたよ」。

 だが、6月29日のヤクルト戦(神宮)に6回3失点で初黒星を喫してからは4連敗。流れが変わった。8月10日の大洋戦(横浜)で4失点ながら完投勝利で自身の連敗を止めて10勝に到達したものの、その後は調子を取り戻すどころか左肩を痛めた。再びリリーフに回ったり、状態を見ながらの登板となり、結局、10勝5敗2セーブ、防御率2.94で終わった。チームは優勝したが、悔しい思いにもさせられたシーズンだった。

 4勝3敗で広島が制した阪急との日本シリーズも大野氏はリリーフ要員だった。打率.355、37本塁打、130打点でパ・リーグ3冠王に輝いた阪急の主砲、ブーマー・ウェルズ内野手を封じるのが最大ミッションで、第4戦に大野氏はそのシリーズ初登板となった。2-2の同点で迎えた8回1死満塁でバッターは4番の“怪物助っ人”だ。しびれる場面だったが、カウント2-2からフォークで三振に仕留め、後続も断った。

「夏場過ぎた秋口からだいたい低迷するんですよ」

 カープ打線は9回に勝ち越し。大野氏は1回2/3を無安打無失点に抑え、シリーズ初勝利をマークした。だが、ブーマー封じに関しては「キャッチャーの山中(潔)に感謝なんですよ」と付け加えた。「ホームベースを過ぎてのワンバンだったら、キャッチャーは止めることができる。だけど、ベースより前のワンバンは捕りにくい。それだけはやめようと思っていたんですけど、ブーマーの三振は前でワンバンしたはずです。とんでもないボールを振ってくれたんですよ」。

 だから、それを止めてくれた山中捕手のおかげという。「結果は三振だったけど、自分のイメージからすると投げてはいけないボールだったんです」。入団して3度目の日本一となり「ホント、いいタイミングでカープに入団し、幸せでした」と振り返りつつ、後半失速、故障と反省の方が多い年だった。「いい時に調子に乗って先のことを読むんじゃなくて、悪い時にどうするか、いいものを続けるためにはどうしたらいいかを考えないといけないと思いましたね」。

 その課題をなかなか克服できなかった。9年目の1985年は8月終了時点で10勝3敗だったが、そこから失速して最終的には10勝7敗2セーブで終わった。この年は4月13日の阪神戦(広島)で初の開幕投手を務め、完投で勝利投手になった。延長10回4-3のサヨナラ勝ち。10回表に1死二塁のピンチがあったが、セカンドの木下富雄内野手が隠し球を成功させて、勝利につなげた。「ピッチャーも大変ですよ。演技で何気ない仕草をしなければいけないですからね」。

 そんなスタートから、大野氏は3連勝するなど、前年に続いて飛ばしたが、終盤もまた前年と同じだった。9月以降、2セーブをマークしたものの、勝ち星はなしの4敗。「先行バテ型でしたよね。夏場過ぎた秋口からだいたい低迷するんですよ。だから安定した勝ち星が挙げられない。秋の風とともに体の状態がおかしくなるんですよ。だから日本シリーズとかも自分の中ではあまりよくないんです。何でだったんでしょうねぇ……」。最後まで原因不明だったそうだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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