19歳に「いとも簡単に打たれた」 3連勝から逃げた日本一…今も忘れぬ37年前の衝撃

広島で活躍した大野豊氏【写真:山口真司】
広島で活躍した大野豊氏【写真:山口真司】

1987年に中日へ移籍…落合博満とは「特別楽しくできた」

 1986年オフに、パ・リーグで打率、本塁打、打点の3冠王に3度輝いた落合博満内野手がトレードでロッテから中日に移籍し、プロ野球では日本人初の1億円プレーヤー(1億3000万円=推定)となった。元広島投手の大野豊氏(広島OB会長、野球評論家)は、セ・リーグにやってきたオレ流男との対決が「非常に楽しかった」という。「長い間、いろんな人と勝負しましたけど、落合さんとの対戦は特別でしたね」と振り返った。

 ロッテの主砲・落合氏が2年連続3冠王となった1986年シーズン、セ・リーグは広島が制した。阿南準郎監督が就任1年目の優勝だった。プロ10年目の大野氏は15登板で6勝5敗、防御率2.74。左肩痛で7月下旬から2か月離脱したのが響いた。終盤に復帰し、西武との日本シリーズにも2試合に先発して1勝1敗。広島は初戦の引き分け後、3連勝で王手をかけながら、そこから4連敗で日本一を逃した。

“ミスター赤ヘル”山本浩二外野手のラストシーズン。「浩二さんのためにも日本一になりたかったんですけどね」と話した大野氏は第6戦で西武のルーキー・清原和博内野手に浴びた一発をよく覚えているという。「広島市民球場でアウトコース寄りの真っ直ぐを右中間にホームラン。決して悪いボールじゃなかったのに、いとも簡単に打たれましたからね。こいつはただ者じゃないなって思いましたよ」。

 そして翌1987年シーズンから中日に新加入の3冠男との対戦が始まった。「特別、あの人とは楽しくできたイメージがあるんですよ。初球の入り方から、最後どう打ち取るか、どう打たれるか。読み合いですね」と大野氏は話す。結果について「独特なボールの待ち方、タイミングの取り方ができるバッターだから、非常に投げにくい、打ち取りにくい。あの人には一番打たれているんじゃないですかね。だって決め球を打たれるんですからね」と言いながらも笑みを浮かべた。

落合氏から言われた「お前は安心して打てる」

「あとあと『落合さん、僕からよく打ちましたよね』って話をしたことがあるんです。そしたら『お前は安心して打てる。これ(危険球)がないから』って。それと『お前の球はボールを振らなかったら打てる。他のバッターはボールを振るだろ、だから打てんのよ』って。あの人はどっちかというと僕が思うに、真ん中の甘めの球にはタイミングが取りづらいというか、合わないケースが多い。その代わり、ある程度コースに投げたボールへの反応はすごくいいんですよ」

 大野氏は落合氏との対戦を楽しそうに解説した。「僕は投げていて一番バッターにさせたいのは、上体が突っ込むとか、泳ぐとかね。そういう反応を見たいんです。でも落合さんは足を開いて、バットが軸足に残っているんです。上体が出て来ないんです。残してボールの見極めをしてバットコントロールで運ぶ。これを投げれば抑えられるというボールにまで反応できるんですよ。ということで抑えたよりもけっこう打たれたなって感じなんです」。

 しかしながら大野氏は「ああいう人と対戦できて学ぶことも非常に多かった」とも言う。「それにね、アイコンタクトじゃないけど、打たれたら落合さんが“どうや”って感じの目をされるんです。たまに三振をとったりすると逆にこっちが“どうですか”ってね。お互い目と目で会話できるようなそういう感じもしましたね。落合さんがどう思っていたかはわからないですけど、僕としては非常に投げごたえがあった。そう思っています」。

 すぐに当時のシーンが思い浮かぶくらい印象的な対戦相手だったのだろう。「落合さんからしたら、僕はカモだったと思いますけどね」と言いながらも、まさに忘れられない対決。難敵・落合氏の存在もまた大野氏にとって、自身を成長させてくれるものだったに違いない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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