防御率135.00→1.70で沢村賞 最多勝と5差で“期待度薄”も…どん底からの大出世

広島で活躍した大野豊氏【写真:山口真司】
広島で活躍した大野豊氏【写真:山口真司】

大野豊氏は1988年に最優秀防御率…槙原寛己との投げ合いに燃えた

 1点取られたら負けのつもりで投げた。元広島投手の大野豊氏(広島OB会長、野球評論家)はプロ12年目の1988年、最優秀防御率(1.70)のタイトルと沢村賞を受賞した。「1点台の防御率は自分を褒めてあげたい数字でした。沢村賞は人から認められていただける賞。選んでいただいて本当に感謝しています」。成績アップの裏には8歳年下の好敵手の存在もあった。この年のセ・リーグ防御率2位(2.16)だった巨人・槙原寛己投手だ。

 1988年の大野氏の成績は24登板で13勝7敗、防御率1.70だった。この年も得意のスタートダッシュ。開幕2戦目の阪神戦(4月9日、広島)に先発して8回無失点で勝ち星をつかみ、そこから無傷の6連勝をマークした。初黒星は5月28日の巨人戦(広島)。両軍無得点のまま延長戦に突入し、10回表に巨人のルーキー・勝呂博憲内野手に一発を浴びて、0-1で敗戦投手となった。相手投手は10回完封勝利。槙原だった。

「勝呂にはスライダーをバックスクリーンにホームラン。その1球、その1点で負けたんですからね」。新人打者相手に油断があったのかもしれない。「あれは悔しかったですね」と話した。「その前後3年くらいですかねぇ。槙原とは9回までゼロで行った試合が数試合あったんですが、延長に入ったら、すべて僕が負けていたと思います。とにかく槙原と投げ合う時は絶対、先に点を取られたら駄目だっていうのがありました」。

 1988年の大野氏は7月30日と9月23日にも槙原と、いずれも広島市民球場で投げ合っている。7月30日は延長10回、広島が3-2でサヨナラ勝ちしたが、槙原が完投し、大野氏は7回2失点で降板した。9月23日は大野氏が完封勝利。槙原は7回3失点で敗戦投手となった。好勝負の連続だったが「トータルでは槙原と投げ合った試合はたぶん4勝6敗くらいじゃないかと思います。悔しい思いの方が多かった印象です」と大野氏は言う。

13勝で沢村賞「防御率と完投数を評価されたのかな」

「年は僕が上。先輩ですから、若い人に負けるのは悔しいじゃないですか。それで惜しかったねとか、残念だったねとか同情されるのだったら、投げ勝つしかないという気持ちになりましたよ」。年下の好敵手に、いい意味で刺激を受けた。特にこの年は2人で防御率を争い、大野氏がタイトルをつかんだ。ちなみに奪三振は槙原がリーグ最多の187で、大野氏は183。完投数は大野氏がリーグ最多タイの14で、槙原は11。完封数はともに4だった。

 この年マークした防御率1.70は誇れる成績だ。入団1年目の大野氏が残した数字は135.00。そんなどん底の状態から始まったプロ人生で、とりわけ防御率にはこだわってきた。それだけに、このタイトル獲得は喜びもひとしおだった。「1点台でシーズンを投げ切れた。本当に、よく1年間頑張って投げたなって年でしたね」。

 そんなシーズンを終えて、沢村賞の知らせが届いた。大分・湯布院でオーバーホール中だった。「自分の中では頭にはありませんでした。13勝7敗でしたから」という。この年の優勝は星野中日で、最多勝はその中日の小野和幸投手とヤクルト・伊東昭光投手の18勝。大野氏は勝ち星では5差をつけられていた。小野は18勝4敗で「勝率とかになると、とてもじゃないけど及びませんでしたしね」。

 驚きの受賞でもあったわけだが、大野氏は「防御率と完投数を評価されたのかなとは思っています」と言って笑みを浮かべた。13勝で14完投。7敗して防御率1.70。力投が報われずに負けた試合も多かったが、それも選考委員に評価された形だ。「数字を残すことも大事だけど、人から認められるような投手になりたいと思って僕はやってきたので、ひとつの勲章を得たと思っています」と言葉に力も込めた。もちろん、年下の好敵手とのバトルも熱い思い出となっている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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