17歳ドラ1の大胆すぎる“入寮拒否” 「正月明けで行きたくない」中日を欺いた計略

元中日・今中慎二氏【写真:山口真司】
元中日・今中慎二氏【写真:山口真司】

今中慎二氏は入寮を大幅に遅らせて1年目のスタートを切った

 1989年1月、星野中日注目のドラフト1位ルーキー・今中慎二投手(現野球評論家)はなかなか名古屋入りしなかった。他のルーキーたちが入寮し、新人合同自主トレをスタートさせても、姿はなかった。「試験があるからと言ってね。まだ行きたくなかったから」。意図的な遅れ。何とも大胆なプロでの第1歩だったが、その後のキャンプでは……。記念すべきプロ初登板では「ピッチングでちびるというのはこういうことなんだ」と思わされたという。

 大阪桐蔭からのプロ第1号、期待の左腕の背番号は「14」に決まった。「12か14を言われて、じゃあ14でって。意味は別にない。空いている数字でってことだったから」。当時17歳。そして今中氏のプロ人生は予定された期日の“入寮拒否”から始まった。「みんなは5日とかに寮に入って、自主トレってことだったけど、正月明けですぐ行きたくないと思って、試験を理由にして遅らせたんですよ。俺が入寮したのは確か1月22日くらいだったんじゃないかな」。

 実はその間に中日では“事件”が起きていた。主砲・落合博満内野手が1月17日に長野・昼神温泉での自主トレで、キャンプインまでにベスト体重より1キロオーバーにつき罰金10万円との星野仙一監督らの首脳陣方針について「なんでかね。体重計に俺は乗らないよ」などと発言。「落合、星野批判」と大騒動となり、球団も問題視して処分を検討した。これに落合氏も態度を硬化させ、現役引退も口にする事態にもなったのだ。

 そんな“昼神舌禍事件”が落合氏の謝罪という形で解決したのが1月22日。今中氏がようやく名古屋入りしたのは、偶然にもまさにその頃だった。「そんなことは知らなかったけど、確かに入寮したときはテレビカメラがちょろっといたくらいだったかな。目立たなくてよかったです」。のちに今中氏にとって落合氏は因縁の対戦相手になるのだが、この時から何か縁があったのだろうか。キャンプは沖縄・具志川での2軍スタート。そこには騒動のペナルティの形で1軍のオーストラリアキャンプに参加しなかった落合氏の姿もあった。

「なんで落合さんがいるんだろうって思ったけどね。でも会話することはなかったし、どんな練習をしていたかも知らなかった。だって俺はほとんど競技場でしたから」。今中氏の1年目のキャンプは完全別メニュー。「キャッチボールはキャンプに来ていた(担当スカウトの)中田(宗男)さんとしたけど『10メートルしか駄目だ』と言われた。キャッチボールの後は全体練習に入らず競技場で走っとけって」。

クロマティに戦慄「見えないんですよ、なんだ、この打球って思った」

 まずは体力強化だったわけだが「でもね、帰るのは午後2時くらい。早いでしょ。今じゃ考えられないですよね。高校の時の練習量に比べたら、へでもなかった。それで先輩たちと一緒に帰っていましたよ」。キャンプは毎日、そんな感じだった。3月になってブルペンに入ったが、捕手を立たせたままの立ち投げで20球。「それで終わりだった」という。

 そんな調整を経てようやく2軍の試合に投げるようになったが「打たれてばかりだった」という。リリーフから始まり、先発もするようになったが、結果は出なかった。その状況でまさかの知らせは5月下旬だった。「俺が投げる日が2回か3回、雨で流れたんですよ。スライド、スライドで福岡に行って、夜、先輩らと出掛けて門限に遅れて帰ったら部屋にメッセージランプがついていてマネジャーから連絡があって『何ですか』って聞いたら『明日から1軍だ。名古屋に帰れ』って」。

 信じられなかった。「だってまだ5月だし、ファームでも打たれてばかりでしたからね。マネジャーに『またまたご冗談を』って言ったら『ホントだから明日帰れ』って」。その時、今中氏を含む4選手の入れ替えがあり、バタバタと名古屋に向かい、1軍に合流。「緊張する暇もなかった。何が起こっているんだろうと思っていた」。星野監督に挨拶に行ったが、会話することはなかった。頑張れも何もなかったそうだ。

 プロ初登板は1989年5月26日の巨人戦(ナゴヤ球場)だった。0-3の8回から3番手でマウンドに上がり、2回を投げて1失点。打者10人に投げ、3安打4三振1四球の内容だった。8回は2番・緒方耕一をキャッチャーフライ、3番・篠塚利夫からは三振を奪ったが、4番・原辰徳に一発を浴びた。失点はこのソロアーチによるものだった。だが、今中氏は「自分のなかでは原さんに打たれた後が大変だったです」と明かす。

 5番・クロマティの一打に震え上がったという。「ピッチャー返しをよけたつもりが、打球はライト線に飛んでいたんですよ。見えないんですよ、なんだ、この打球って思った、そこからは真っ直ぐを投げても、ちびってストライクが入らない。その後はカーブを多投したのかな。1失点でも抑えたというイメージはなかった。怖さだけを覚えた。1軍と2軍じゃ話にならないってね」。高卒ルーキーが初めてプロの真の凄さを思い知ったデビュー戦だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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