提出した反省文がゴミ箱“直行” 降板後にこもったトイレ…恐怖に震えた指揮官の激怒

降板する中日・今中慎二(右)と星野仙一監督(1996年)【写真:共同通信社】
降板する中日・今中慎二(右)と星野仙一監督(1996年)【写真:共同通信社】

今中慎二氏は星野仙一監督から登板についてのレポート提出を求められた

 元中日投手で野球評論家の今中慎二氏は現役時代、星野仙一監督の熱い指導を受けた。怒られるのは当たり前。とにかく野球に関しては一切気が抜けなかった。それは技術面だけではない。プロ2年目の1990年からは時々、登板した試合についてのレポート提出まで求められたという。「字を間違ってはいけないから、辞書で調べたりして、まぁまぁ苦労しましたね」。厳しかったミーティングへの対策などもしかり、頭脳面に関しても徹底的に鍛え上げられた。

「レポートを書け」。今中氏は登板後、星野監督からそう言われたことが何度もあったという。打たれたシーン、失点につながったシーンなどを振り返って、どう考えたかを文字にする。「その試合で、何でこうなったか、書いてこいってことだから反省文ですよね。寮長に辞書を借りて、調べて書いて、次の日監督に渡して、そのまま見ずにゴミ箱に捨てられて、また怒られてって感じでしたけどね」。

 ただし、ゴミ箱直行はパフォーマンス。今中氏がいなくなってから、星野監督はそこからレポートを取り出して読んでいた。「あとで言われましたよ。お前、字を間違えすぎやって。こっちは辞書でちゃんと調べていたんですけどね」。そんな対応もまた闘将流だったということだろう。

「レポートは(捕手の)中村(武志)さんも言われていましたよ。100試合くらい終わってから今年の試合の反省のあれ持ってこいって。中村さんはそれまでの分なんて書いてないから、とりあえず新聞を持ってきて、この試合はどうだったってやってましたね。きれいなノートだったらおかしいから『ちょっとお前(寮隣接の)室内(練習場)から土を持ってきて』って言われて、その土で汚していました。徹夜して書いて持っていったんじゃないですかねぇ。あの頃はそんなのが多かったんですよ」。

 試合後のミーティングに備える“勉強”も必要だった。今中氏は降板後には、まずその試合の“復習”をトイレとかでしていたという。「その日の反省。ミーティングで何を聞かれても答えられるようにしていなければいけなかったのでね。あいつにどれだけ打たれているんだって数字とかも聞かれることもあったし、パンと答えられなかったらやばいぞって話で……」

 星野監督には激怒するパターンがあった。「外国人選手への初球とか、ツーストライクと追い込んでからとか……。同じバッターに2打席連続ホームランだったら大変なことになるし、先頭打者への四球とか、2死からの四球、2死からのホームランとか、いろんな“ルール”がありましたね」。そして、嫌でも気をつけるようになっていった。

元中日・今中慎二氏【写真:山口真司】
元中日・今中慎二氏【写真:山口真司】

怒った選手を起用する指揮官…ベテランも「理解しますよ」

「ハマスタで(大洋戦に)投げた時、5回まで勝っていたけど、5-5で延長戦になった。俺は7回5失点。パチョレックに2発打たれて、5打点全部パチョレック。これはまた言われるよ、同じやつに打たれやがってってね。そう思っていたら(打線が同点に追いつき)延長で長い試合になって日付も変わったんです。でも結局15回裏に山内(和宏)さんがパチョレックにサヨナラヒットで負けて……。パチョレック6打点かぁ、ミーティングどうなるんだろうって」

 闘将の激怒モードを想像して、思わず身構えた。「そしたらミーティングがなかったんですよ。さすがに遅い時間だったから。ああ、よかったって思いましたね。でも、次の日、きっちり『お前、どれだけ打たれているんだ、あいつに!』って言われましたけどね」。そんな例はいくつもあるのだろう。それが今中氏には日常となり、自然と身についていったものがあるわけだ。

 令和の今、かつての星野監督の激しい指導に関して、いろんな意見はある。そんな中、今中氏はこうも話す。「いいことも悪いことも目にはかけてくれた。俺もそうだし、立浪(和義)さんも中村さんも山本(昌)さんもあの頃、みんな若手じゃないですか。若手は怒られるわけでしょ。そして監督は怒って使うじゃないですか。中堅やベテランの人たちはそれを見て理解しますよ。若手を怒らずに甘やかして使うと、なんだって思うでしょうけどね」。

 当時の若手だった面々からは「監督に怒られなかったら逆に不安になる」との声をよく聞くが、今中氏も「星野さんが怒っている時は抹消されないですから」と言い切る。「我慢して使ってもらえるというのはそこですよね。今は時代が違うから、そういうのって通用しないじゃないですか。でもあの時は上の人らに、これだけやっているからあいつを使うんやっていう理由を態度で示された感じですね」。

 実際、我慢して使ってもらったことが成長への近道になった選手も多い。「そうだと思いますよ。ワンチャンスを生かす運のいい人はそうはいない。バッターは1打席、2打席では無理だから何十打席、ピッチャーだったら何試合とか我慢してもらわないと。僕らはある程度、腹を括ってもらった分がありましたよね。その後、優勝争いができたのも、結局、そういう我慢があったからですよ」。

 星野監督に鍛えられた日々は今中氏にとって大変な時期だった。だが、レポートやミーティング対策も含め、それを乗り越えて成長したのは間違いない。「今は今の時代のやり方がある。でも我慢して使うことは今でも可能なので、その我慢の仕方をどういうふうに理解させるかですよね。メディアを通して言うのか、個人的に言うのか。怒ったらまた昭和だって言われるわけでしょ。怒りたくても怒れない。だから難しいんですけどね」。昔を懐かしみながら、そう話した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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