悔しいはずの戦力外に「ホッとした」 妻の言葉に反省…“エヴァに感謝”の野球人生

オリックスから戦力外通告を受けた石岡諒太【写真:橋本健吾】
オリックスから戦力外通告を受けた石岡諒太【写真:橋本健吾】

オリックスから戦力外通告を受けた石岡諒太が現役引退を決断

 悔しいはずの宣告にも「ホッとした自分がいることに気づいた」と本音がこぼれた。オリックスの石岡諒太内野手は、シーズン終盤の10月5日に戦力外通告を受けた。報道陣に囲まれた際には現役続行を口にしていたが、「自分のできることはやり切った、悔いはない」と、ユニホームに別れを告げた。

 最後まで実直に野球に取り組んだ。「今年は2軍でもほとんど試合に出ることはなかったので、ある程度は覚悟はしていた。ただ、ポストシーズンや来年に向けて準備している選手もいる。練習や自主トレも最後までやり通すことだけを考えていました」。入団当初から常に全力を求めた。練習量に肉体がついて行けず、2度の腰の手術を経験。怪我に悩まされたプロ野球人生だったが、悔いはなかった。

 2015年のドラフト5位で中日に入団。当時の落合博満GMからも非凡な打撃、一塁手ながらも高い守備力を評価されていた。だが、新人合同自主トレで腰痛を発症し、手術を受けると春季キャンプを全休。プロ入り直後から怪我との戦いが続き、2019年には育成落ちも経験した。

「育成になった時は苦しかった。それでも、仁村2軍監督から『抜くことも必要だぞ』と言われて自分の体と向き合うことを教えてもらった。やり続けることが大事だと思っていましたが、その言葉で我に返って。そこからは打撃も良くなって、怪我なくプレーすることができました」

オリックス・石岡諒太【写真:橋本健吾】
オリックス・石岡諒太【写真:橋本健吾】

中日からトレード移籍したオリックスでは地元・ほっと神戸で初のお立ち台

 転機となったのはトレード。2022年のシーズン途中にオリックスに移籍すると17試合に出場。地元・ほっと神戸で行われた7月10日のロッテ戦では、「1番・左翼」でスタメン出場すると5打数2安打の活躍を見せた。ウエスタン・リーグでは打率.308で首位打者のタイトルを獲得した。

 手足が長く、走り姿がエヴァンゲリオン初号機に似ていることから、中日時代からの愛称は「エヴァ」。オリックスでプロ入り初めてのお立ち台に上がった際も、「はじめまして、石岡です。ニックネームはエヴァです!」と自己紹介しファンを楽しませた。

 真面目で実直な性格。照れくさそうに笑顔を見せながら、「選手に愛称がつくのは珍しいし、ファンの皆さんに覚えてもらったのは良かった。エヴァには感謝ですね」と当時を振り返る。

 一気にブレークするかと思われたが、リーグ3連覇を成し遂げたチームの選手層は想像以上だった。今季は1軍での出場機会がなく2軍でもベンチを温める日が続いたが、心だけは折れることはなかった。それでも、自宅に戻ると今年9月に結婚した芙美(ふみ)さんからは、「野球をしんどそうにやらないで。楽しくやってほしいな」と伝えられた時があったという。

「優柔不断でネガティブな僕とは正反対の性格。本当にポジティブでしっかりしている。自分では平然としているつもりでも、苦しそうな姿を見せてしまったと反省しました」

今後は球団に残り裏方としてチームをサポート「今度は逆の立場になって」

 最愛の妻に1軍で活躍する姿を見せられなかったことだけが心残り。それでも、引退を決断したことを伝えると「あなたが納得したならいいんじゃない? 8年間、お疲れ様でした」と労をねぎらってくれた。自らの居場所に劣等感を抱えながらも、妻の言葉で全て報われた気がした。

 中日、オリックスで過ごした8年間の通算成績は36試合出場、15安打、0本塁打、1打点、打率.207。思い描いた成績を残すことはできなかったが、「やりきった思いが強い。育成を含めて8年間もプレーできた。球団には感謝しかありません」と清々しい表情を見せる。

 今後は球団に残って裏方としてチームを支えていく予定だ。「現役の時は裏方さんの支えがあってプレーすることができた。今度は逆の立場になってチーム、選手のサポートをしていきたい」。まだ、働き盛りの31歳。第2の人生を懸命に生きていく。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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