創部初勝利は「僕らだったかも」 甲子園を奪われ不完全燃焼…主将が今も抱える無念
北海道のクラーク記念国際は2014年に創部、今夏に甲子園初白星
今年の夏、春夏合わせて通算4度目の出場にして甲子園初白星を挙げたのが、北海道のクラーク記念国際高。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で夏の甲子園大会が戦後初めて中止となった2020年のメンバーは「1勝目は僕らが挙げていたかもしれないのに……」との思いを拭い切れない。
今月29日から3日間、甲子園球場などで「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会2020-2023」が開催される。あの夏に各都道府県が行った独自大会の優勝校など、44チーム(当時の球児約800人)が出場する見込みだ。2020年当時にクラーク国際の主将を務めていた野坂竜之介さんは、冗談めかしながらも「さかのぼって、僕らが“1勝目”ということにしたい」と燃えている。
クラーク国際を率いる佐々木啓司監督はかつて、駒大岩見沢高を「ヒグマ打線」の異名を取る強豪に育て上げ、1983年春の選抜で甲子園初出場にしてベスト8、93年春の選抜ではベスト4に進出した実績を持つ“レジェンド”だ。2014年春にはクラーク国際の野球部を立ち上げ、2016年夏に創部わずか3年目で甲子園初出場に導いた。
その後のクラーク国際は、2018、2019年に2年連続で北北海道大会決勝で敗退。2020年のメンバーには、先輩たちの無念を晴らす使命感もあった。選抜大会出場につながる前年(2019年)秋の北海道大会は、空知支部予選で敗退し、最後の夏に向けて練習は激しさを増していった。
ところが、5月20日。3年生メンバー15人はコロナ禍の最中とあって、寮の談話室に集まり、リモートで授業を受けていた。10分間の休み時間中、メンバーはネットニュースで夏の甲子園中止決定を知る。
「その次の休み時間中、寮の館内放送で3年生全員が別の部屋に呼び出されました」と野坂さんが振り返る。そこには、佐々木監督の次男で野球部長を務める達也氏がいて、「独自大会が開催される可能性が高い。そこまでしっかりやろう」と鼓舞した。
「佐々木監督も、達也さんも、目配りや気配りが細かくて、人の動かし方を知っている方です。今思えば、僕らが浮足立っていることをわかっていて、チームがほどけないように引き締めてくれたのだと思います」と野坂さんは受け止めている。
北北海道の独自大会で優勝「俺の野球人生で一番いい打線だった」
一丸となったクラーク国際ナインは、見違えるような成長を遂げた。前年秋の空知支部予選で敗れたチームと練習試合を行うと、20得点以上で大勝したほどだ。自信を持って臨んだ北北海道の独自大会。振り返ってみれば、前年秋の北海道大会で優勝していた白樺学園との決勝トーナメント初戦が「事実上の決勝戦だったと思います」と野坂さんは振り返る。
初回、「1番・遊撃」で出場した野坂さんが左中間を破る二塁打を放ち、これを皮切りに3得点。2回にも2点。6回表終了時点では8-0とリードを奪った。そこから白樺学園に猛追され、8-6の2点差まで詰め寄られるも逃げ切った。
最強の敵を破ったクラーク国際は、その後の準々決勝、準決勝、決勝に全て10点差で大勝。佐々木監督は「俺の監督人生で一番いい打線だった」と称えた。前年秋に支部予選で敗れたチームが、甲子園という目標を失いながらも成長を遂げ、ヒグマ打線を越えたのだ。
「監督にそう言っていただいたことが、一番うれしかったです。佐々木監督は背負っている歴史が違いますし、人生をかけて高校野球をやっている方なので、恐れ多い気がしました」と満面の笑みをたたえる野坂さん。「練習は厳しかったですが、人間的に大きくしていただいたと思っています」と付け加えた。
独自大会優勝で有終の美を飾ったことは、クラーク国際ナインに一定の満足感をもたらした。だが、甲子園への道を閉ざされ「自分たちの限界を知る前に、不完全燃焼で終わってしまった」との思いも拭えなかった。
だからこそ、だったのだろうか。野坂さんは卒業後、一念発起して米カリフォルニア州のマーセッド大学(2年制)に留学し、野球部で二塁手としてプレーした。佐々木監督の教え子がコーチを務めていた縁もあった。
「コロナで練習時間が限られていた頃、考える時間が増えて、アメリカに行きたい気持ちが高まっていきました」と野坂さん。今年12月に卒業する見込みで、来年は「企(起)業家コース」を設けている長野県立大学への編入を希望。在学中にIT分野で起業することを目指している。
「あの経験があったからこそ、今の自分になれましたと言えるように」
「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会2020-2023」は29日、甲子園球場で出場チームが5分ずつのシートノック、入場行進、セレモニーなどを行い、翌30日と12月1日には兵庫県内の球場に分かれて交流試合を戦う。
クラーク国際で野坂さんと同学年だった15人のうち、北海道内に実家があるのは野坂さんを含め3~4人。その他は東京、宮城、愛知、岐阜、鹿児島など全国から集っていた。「卒業後、みんな地元に帰ってしまっていたので、また集まれることが一番有意義だと思います。試合も楽しみですが、夜にお酒を飲みながら高校時代の思い出話ができるのが楽しみです」と胸を躍らせる。
2020年に高校3年で、コロナによって夏の甲子園を奪われた球児たちは“悲劇の世代”とも呼ばれる。しかし野坂さんは「自分たちの高校時代を、最悪なものにはしない。むしろ『あの経験があったからこそ、今の自分になれました』と言えるような人生にできるように頑張ります」と言い切る。それは当時、佐々木監督や達也部長から言い聞かされ、選手同士で掛け合った言葉でもある。
「あの夏を取り戻せ」大会は、セレモニーを含め入場無料。また「スカパー!」では全試合を無料放送、無料配信する。開催までカウントダウンとなり、選手たちと同世代の大学生らで構成する実行委員会は、甲子園に観客1万人を動員することを目標に掲げている。
【あの夏を取り戻せ! クラウドファンディングはこちら】
https://ubgoe.com/projects/444/
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)