曖昧な記憶…覚えているのは「絶望しかない」 3年の時を経て辿り着いた“聖地”

聖隷クリストファー時代の大橋琉也さん【写真:本人提供】
聖隷クリストファー時代の大橋琉也さん【写真:本人提供】

聖隷クリストファーでプレーした大橋琉也さん「全国で一番練習したと思っています」

 2020年に新型コロナウイルスの感染拡大で、夏の甲子園大会が戦後初めて中止となってから3年。当時高3だった球児たちが甲子園球場に集結し、29日から3日間「あの夏を取り戻せ~全国元高校球児野球大会 2020-2023~(以下「あの夏」)」が開催される。各都道府県が代替として行った独自大会の優勝校など、42チーム(元球児約800人)が出場。聖隷クリストファー高(静岡)にとっては、念願の“甲子園初出場”となる。

 聖隷クリストファーは近年、何度も甲子園を目前にしながら、創部以来いまだ出場を実現できていない。2017年秋からは、浜松商高や掛川西高を甲子園に導いた実績を持つ上村敏正監督が就任。名将の下で鍛えられた2020年のチームは、限りなく“聖地”に近づいていた。当時捕手で4番を打っていた大橋琉也さんは「全国で一番練習したと思っています」とうなずく。

 前年(2019年)の秋季静岡大会では、準決勝で藤枝明誠高に8回表終了時点で7-2とリードしながら、延長11回の末7-8でサヨナラ負け。静岡商高との3位決定戦でも、序盤の2点リードを守れず3-6の逆転負けを喫し、春の選抜大会出場を逃した。すると最後の夏へ向けて、チーム全体のボルテージが上がった。

「上村先生が昔からおっしゃってきた『やり過ぎても、やり残すな』を合言葉に、必死に練習しました」と大橋さん。ちなみに、選手たちは上村監督から「私は“監督”ではない。一教員ですから“先生”と呼びなさい」と言い聞かされていた。

 指導者が頭ごなしに練習させるのではなく、選手間で「おまえ、そんなことで試合に勝てるのか?」などと厳しい言葉を掛け合った。ノック中にエラーが出れば、全員集合して原因を追究したほどだ。「そこまでやらなければ、いざ満員のスタンドを前にした時に飲まれてしまうと考えていました」。

 こうして冬を越し、選手たちはチーム力に自信を深めた。それだけに、新型コロナウイルスの感染が拡大して自主練習となり、とうとう2020年5月20日、夏の大会中止が決定されたことは、選手たちにとって衝撃的だった。大橋さんは「絶望しかありませんでした。今思い出そうとしても、その頃の記憶ははっきりしません」と首を横に振る。

 ただ、静岡県の独自大会が開催されることが決まり、上村監督から「やるからには静岡県一になろう。やってきたことが間違いでなかったことを証明しよう」と鼓舞され、もう1度チームが一丸となった瞬間のことは覚えている。

現在は看護師として働く大橋琉也さん【写真:本人提供】
現在は看護師として働く大橋琉也さん【写真:本人提供】

独自大会で秋のリベンジ果たし優勝「焦りは全くありませんでした」

 独自大会では2回戦で、前年の秋に苦杯をなめさせられた藤枝明誠高を3-1で撃破。準決勝でも静岡商高に9-6でリベンジを果たした。決勝では、浜松開誠館高と対戦。初回に1点を先制されたが、大橋さんは「焦りは全くありませんでした。練習してきた自信がありましたし、ベンチを見れば上村先生がいらっしゃる。安心感しかありませんでした」と振り返る。2回の攻撃で一挙4点を奪い逆転。結局6-5で競り勝ち、静岡の頂点に立ったのだった。

 大橋さんは卒業後、愛知県の和合病院に看護師として就職し、軟式野球部でプレーを続けている。和合病院は今年の天皇杯全日本大会、鹿児島国体で全国2冠を達成し、中部日本都市対抗軟式野球大会も制した強豪である。

 その大橋さんに、「あの夏」開催の朗報が届いた。29日に甲子園球場で午前8時から各出場校5分ずつのシートノック、正午から入場行進、セレモニー、特別試合などを行い、翌30日と12月1日には兵庫県内の球場に分かれて交流試合を戦う。

「第1に、初めて甲子園のグラウンドに立てること。第2に、上村先生がシートノックを打ってくださり、ベンチにいてくださる中で、当時の仲間と野球ができることがうれしいです」と大橋さん。さらに第3として「甲子園は家族の夢でもあったので、自分の姿を見せられることもうれしいです」と付け加えた。

祖父の代から続く“捕手家系”の夢実現…観客1万人動員が目標

 実は、大橋さんは静岡きっての“捕手家系”に生まれ育った。父・一也さんは沼津学園高(現・飛龍高)、社会人の硬式クラブチームなどで捕手として活躍。祖父の一彦さんも、60歳以上、70歳以上の全国大会に出場しマスクを被った。

「大橋家には、捕手しかいません。親戚を含め、どの家に行ってもキャッチャーミットがあります。僕も物心がついた時から、キャッチャーが一番かっこいいと思っています」と言い切る。実家のある沼津市では、子どもの頃から野球の試合のたびに、審判や相手チームの指導者から「お父さんにお世話になっています」「おじいさんによろしくお伝えください」と声をかけられたほど。そんな大橋家にとって初の甲子園で、両親がスタンドに駆けつけるそうだ。

「あの夏」大会は、2020年当時に東京・城西大城西高の野球部員だった大武優斗さんが昨年、発起人として大学生ボランティアなどからなる実行委員会を立ち上げた。企業の協賛やクラウドファンディンを募り、ついに実現に漕ぎつけた。

 シートノック、セレモニーなどを含め観覧無料。また「スカパー!」では全試合を無料放送、無料配信する。開催まであとわずかとなり、実行委員会は観客1万人動員を目標に掲げてアピールしている。

【あの夏を取り戻せ! クラウドファンディング(12月1日まで)はこちら】
https://ubgoe.com/projects/444/

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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