「好きにやれ」3冠王も呆れた“常識外れ” 理屈を説明できず…バットに縛った両手

中日で活躍した彦野利勝氏【写真:山口真司】
中日で活躍した彦野利勝氏【写真:山口真司】

彦野利勝氏はバットを握る右手と左手の間が離れていた

 中日での現役時代、強打の1番打者として活躍した野球評論家の彦野利勝氏は変則的な打ち方でも知られていた。打つ時にバットを持つ右手と左手の間が離れていたことだ。いったいなぜ、そんな形になったのか。実は当初、本人も気付いていなかった。人に言われてわかったそうだ。「確実に最初に言われたのは落合(博満)さんです」。世紀のトレードでロッテから中日に移籍してきたばかりの“オレ流3冠男”から指摘され、即矯正を指示されたというが……。

 彦野氏は自身の“打法”について「これが確立されたのは4年目(1986年)から5年目(1987年)にかかるあたりかなぁ。はっきり知らないんです。自分でそうなっていたことに気がつかなかったんです。意図的に離していたわけではないし、何の違和感もなくやっていましたから」と説明した。人から指摘されて初めて気がついたそうで「最初に言われたのは落合さん。あの人が(中日に)来てからだから、1987年だったかな」。

 ロッテ時代に打率、打点、本塁打の3冠王に3度も輝いた落合は1986年12月に中日・牛島和彦投手、上川誠二内野手、平沼定晴投手、桑田茂投手との1対4の“世紀のトレード”で星野中日入りした。そんなオレ流にキャンプで彦野氏は「お前は何で手を離しているんだ」と言われた。「『離れていたら、遠心力を使えないから飛ばないだろ』って。ごもっともな話でした」。普通、両手はくっついている。その場で落合による“矯正指導”が始まったという。

「『1回(右手と左手を)つけて打ってみい』と言われて、打とうとしたんですけど、やはりどうしても離れてしまうんですよ。そしたらバットを握った手にテープを巻かれました。テーピングのテープ。『それで打ってみい』って。でもね、それでは全然打てなかったんですよ。そしたら『もういい、もういいよ』って。『好きにやれ』って。僕も『はい』って答えて。まぁ、それでも、僕が(その後)そこそこ打っていたから、それっきり何も言われなかったですけどね」

 なぜ、そんな打ち方になったのか。「意識してやっていなかったので、考えたこともなかったんですけど、よくよく振り返ってみると、タイミングの取り方で悩んでいる時があって、いろいろやってみて、最終的に落ち着いたのが2度引き。1回引いて、2回目でポンと足を上げて、ちょっとヒッチが入って打つというタイミングにしたんですが、その時だと思います」。それをやり出してから、右手と左手が離れるようになっていたという。

アップしたバットの操作性「ヘッドの使い勝手がすごく良くなる」

「2回目、足をポンと跳ね上げるとともに、ヒッチする時に右手で握り返すようになったんです。一瞬、緩めて握りにいくという動作をした時に、少し(左右の手の間が)離れるってわかったんです。でも、それも無意識だったんですよ。だから落合さんに言われた時は、まだそういう説明ができなかったんです。落合さんは理屈的に嫌だったんでしょうね。確かに理屈には合っていませんからね」。だが、その打ち方が彦野氏にはもはや“通常”になっていた。

「(右手と左手が離れると)遠心力が使えないから飛ばないだろって言われたら確かにそう。だけど操作しやすいというのはありますよ。ヘッドの使い勝手がすごく良くなる。ただ、パンチショットみたいな打球ばかりに、どうしたってなります。当たり前ですけどね。でも昔の球場だったら、それでもスタンドに入りますから」。実際、彦野氏はプロ7年目の1989年に26本塁打をマークするなど、長打力も売りのひとつだった。

「飛ぶんでね、100メートルくらいは。ホームランになっているわけですしね。僕が速い球に強かったというのは、ヘッドが負けないからです。手が離れている分、ヘッドが走るんでね。その代わり、緩いボールとか落ちるボールとかというのは早くヘッドがかえりすぎちゃったりすると、やっぱり引っ掛けちゃう。そういうもろさがあるのは自分でもわかっていたんで、そこはいろいろ我慢したりすることを覚えたりした。いいこともあれば悪いことも当然ありますよ」

 いろいろ工夫して、たどりついた“打法”。それが彦野氏には合っていたということだろう。「立浪(和義、現中日監督)も調子が悪くなると離していましたよ。体力的に落ちてくるとヘッドが下がるらしくて、嫌だからといってね。僕ほどあけてはいませんでしたけどね。あと松田(宣浩=元ソフトバンク、巨人)。彼はあいていましたね。何か僕に似ていませんでしたか」と話したが、プロで“同タイプ”はやはり少なそうだ。

 打ち方に関して、あの落合氏に首を傾げさせながら、中日の強力1番打者として結果を出し、1988年のリーグ優勝にも大きく貢献した彦野氏。「利点もあるけど、リスクもある。僕のバッティングの形を他の人がやれるかと言ったら、そうはやれないでしょうけど、もしも合うというのならやればいいんじゃないかとは思いますよ」とも口にした。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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