見通せぬ引退後…不安抱えるプロ野球選手 斎藤佑樹氏が取締役兼CIOになったワケ

記者会見に出席した元日本ハム・斎藤佑樹氏【写真:竹村岳】
記者会見に出席した元日本ハム・斎藤佑樹氏【写真:竹村岳】

誰もが不安のネクストキャリア…株式会社「シーソーゲーム」のサポート

 元日本ハム投手の斎藤佑樹氏が、スポーツ団体・チームの支援などを行う「株式会社シーソーゲーム」の取締役兼CIO(Chief Innovation Officer)に就任することが11日に発表された。都内で行われた同社の会見に出席。自身が代表を務める「株式会社斎藤佑樹」に加えて、新たな肩書きを背負うことになった。なぜこのタイミングで、そして今後はどのような活動でスポーツ界に貢献していくのか。

 斎藤氏の起用について、同社代表取締役会長兼CEOの瓜生憲さんは「コンテンツに出るとかそういう話ではなくて、スポーツの未来のための成長のために働いてもらいたい」と、その手腕を高く評価したという。

 プロ野球選手にとっても、ネクストキャリアは永遠の課題だ。一方で、評価され、指名されなければ入れないほどの世界でもある。斎藤氏は「僕自身もファイターズにいて、たくさんのことを経験させていただいた。いい思い出ばかりではないかもしれませんが、行かなかったら知らなかったことばかりだった」とキャリアを振り返る。結果につながるかどうかはわからずとも、四六時中、プロとして野球に打ち込む。そんな選手1人1人に、野球以外でも隠れた能力は必ずあると強調する。

 プロの世界で実績を残した選手なら、引退後は困らないかもしれない。しかし、実際はそうでない選手の方がほとんどだ。引退後に抱える不安についても「野球選手の中でも、人とのコミュニケーションがすごく上手な人もいるでしょうし、もしかしたら絵を描くのがすごく上手な人もいるかもしれない。次のキャリアを選択肢として多く持てれば、先を歩いている人(先輩)から話を聞ければ『なるほどな』と理解もしやすいと思います」とサポートしていくつもりだ。

いまだに大切にしている新聞の切り抜き「ちょこっとだけの記事だったけど嬉しかった」

 実業家として活動する今「少年野球専用の野球場を作ることが、僕の夢」ともキッパリ言い切る。「少年野球の記憶っていうのは今でも残っているし、その記憶、思い出を華やかなものにしてあげたい」と言う。

 自らも少年時代の記憶は鮮やかに覚えている。群馬県太田市で過ごした日々。いまだに大切にしている新聞の切り抜きがあるという。「小学校5年生の時かな。上毛新聞の記事なんですけど、県大会に出た時のもの。ちょこっとだけの記事だったと思うんですけど、それがものすごく嬉しかったんです」。試合の結果や、自分の投球内容が書かれているほどの内容だったそうだが「高校野球、大学、プロでもみなさんに取り上げてもらいましたけど、そんな僕でも少年野球の時の記事は宝物のように思っている」と色濃く残る記憶だ。

 そんな嬉しさを今度は、自分が届ける側になりたい。具体的な方針は今後に定めていく模様だが「親御さんが、あるフォーマットやアプリに入れることで記事化されるっていうのがベターだと思っています」と、簡易的に打ち込むことで記事化され、管理ができれば、全国の少年少女に喜びを届けることができる。

 10日には、日本ハム時代にチームメートだった大谷翔平投手が、ドジャースに移籍することが決まった。斎藤氏も大谷の次なるステップを喜び、そんなところからも得られるヒントがあるという。

「彼の活躍は本当に素晴らしいことだと思います。彼のような素晴らしい選手が出てくると、彼の少年時代ってどんなのだったんだろう、とか。心配をする必要はないと思いますけど、野球選手として引退した後はどうなるんだろう、とか。小さい頃、どんな選手だったのかっていう動画とか記事、さらにデータまであれば。例えば小学校3年生の時は同じだったのかもしれないけど、6年生くらいになったらちょっと差が開いている、とか。そんなことも少年少女にとってモチベーションになると思う」

 思いをいち早く形にするために、今後も準備を進めていく。子どもの笑顔のため、野球界の未来のため、斎藤氏は歩みを止めない。

(竹村岳 / Gaku Takemura)

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