動かない足「地面がなくなった」 歓喜のはずが一転「おかしい」…選手生命の危機

中日で活躍した彦野利勝氏【写真:山口真司】
中日で活躍した彦野利勝氏【写真:山口真司】

彦野利勝氏はサヨナラ弾直後に転倒…右膝蓋腱断裂の大怪我を負った

「急に地面がなくなったような感じがした」。元中日外野手で野球評論家の彦野利勝氏は1991年6月18日の大洋戦(ナゴヤ球場)で大怪我を負った。延長10回にサヨナラホームランを放ちながら、一塁ベースを回ったところで転倒し、そのまま動けなくなった。歓喜のシーンで代走が出されるまさかの事態。しかも「右膝蓋腱断裂」で野球生命のピンチに立たされてしまった。突然、苦難の道にはまり込んだ「あの時」「あの年」の出来事を彦野氏が明かした。

 彦野氏のプロ生活は星野仙一氏が監督に就任した1987年シーズンから軌道に乗った。闘将に与えられたチャンスをものにして、レギュラーの座もつかんだ。1988年のリーグ優勝にも貢献。その年から3年連続ゴールデン・グラブ賞を受賞し、キャリアハイの26本塁打を放った1989年は監督推薦で球宴初出場も果たしてベストナインにも選出された。1990年は球宴にファン投票で出場するなど、セ・リーグを代表する外野手になった。

 プロ9年目の1991年は広島から長嶋清幸外野手がトレード加入したことなどもあって開幕当初こそ代打中心だったが、結果を出し、徐々にスタメン出場機会も増えていった。調子も上がってきた。そんななかでの運命の6月18日だった。6-6の同点で迎えた延長10回裏、「6番・センター」でスタメン出場の彦野氏に5打席目が回ってきた。そこまでの4打席で2安打をマークするなど状態は悪くなかった。

 相手は大洋・盛田幸妃投手。3ボール1ストライクからの5球目のスライダーをとらえた。打球はライナーでレフトスタンドへ。劇的なサヨナラアーチで歓喜のダイヤモンド1周となるはずだった。それが一塁ベースを回ったところで足に異常発生で転倒。「急に地面がなくなった感じでウワッて転んじゃって、恥ずかしいと思いました。立ち上がって笑いながら回ろうと思ったんですよ。でも、それどころじゃなかった。すごく痛くなってきて、足が動かなかったんです」。

 山口が代走でホームイン。右膝を痛めた彦野氏は大豊泰昭外野手におんぶされてベンチに戻った。ホームランを打って代走が送られたのは日本プロ野球では、1969年の近鉄・ジムタイル内野手以来2人目。サヨナラホームランでは史上初の出来事だった。「裏のトレーナー室に運ばれて、足を見たら、膝のお皿がないんですよ。あるところになくて、ちょっと上の方にあった。腫れてきて足全部が太腿みたいになっていくし、おかしいとは思ったんですけどね」。

 前兆がなかったわけではない。「その何年か前から膝は両方とも悪くて、痛み止めの注射を打ちながらやっていたんです。膝の患部に直接打つ。痛いんですよ、その注射自体が。1回打ったら、半日は動けなくなり。最初は2か月に1回打っていたんですけど、だんだん、それが効いている期間が短くなっていった。それで1か月に1回になって、3週間に1回になって、2週間に1回になって……。怪我をしたのはその頃なんです」。

「お前がいてくれたらなぁ」忘れられぬ星野監督の一言

 それでもまだ深刻には受け取っていなかった。その試合では先発した今中慎二投手が右ふくらはぎを痛めて途中交代。彦野氏は「『翌日に2人でタクシーに乗って愛知医大に行くように』と言われたくらいでしたしね」という。病院での検査の結果「今中は肉離れ。僕はまた検査に来てくれって言われました。だけど、そんなにひどいとは思っていなかったから、その日も僕の家でチュウ(今中)とすき焼きを食ったりしていましたよ」。しかし、状態は想像以上に悪かった。

 右膝蓋腱断裂。「お皿の骨(膝蓋骨)があって、その下についている太い腱。すね(の骨=脛骨)にひっつけているものですけど、そこの断裂なんです。交通事故とかではあるらしいですけど、野球のプレー中に膝蓋腱が切れることはまずないので、おかしいから何回も検査したそうです」。手術は怪我から約2週間後の7月1日。「切れた腱の代わりに人工靱帯というものを使ってつないだんですけど、これもつないでみないとわからないという話だったんです」という。

「僕は知らなかったんですが、病院の先生は、女房に『野球ができなくなるかもしれない』という話をしていたそうです。これはあとで聞きました。ある程度、リハビリにめどがたつまで女房は僕に黙っていてくれたんです」。まさに野球生命にかかわる大怪我。この年、中日は8月終了時点まで首位を快走しており、彦野氏は「日本シリーズで代打でも出られるようにしたいと思っていました」というが、そもそも、その時期に復帰するのは難しい状況だったわけだ。

 中日は9月に広島に逆転され、優勝を逃した。星野仙一監督のそのシーズン限りでの退任も決まった。10月15日、シーズン最終戦が行われたナゴヤ球場に、彦野氏は入院中だったが、外出許可をもらって出掛けた。「球場で監督に『お疲れさまでした』と言って、ちょっと話しました。『大丈夫か』と言われて『(離脱して)申し訳ありませんでした』と言いました。その時ね、何か初めてしみじみとした雰囲気で『お前がいてくれたらなぁ』って言ってくれたんですよ」。

 そのシーンが彦野氏は忘れられない。「妙にうれしかったんです。そんなことでうれしがっていてはいけないんだけど、あてにされていたんだなっていうか……。僕がいたからって優勝できたかどうかはわかりませんけど、何か非常にうれしかった思い出です」。退院したのは11月1日。4か月に及ぶ入院生活だった。野球人生の流れが変わったプロ9年目。ここから今度は復活へ向けての闘いが始まった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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