20勝エースが酒に酔って「壁を叩いて骨折」 思わず注意…気になっていた“私生活”|球界群像 柏原純一#12
野球評論家の柏原純一氏【写真:山口真司】柏原純一氏は1980年から5年連続全試合出場…日ハムの「顔」として活躍した
後楽園球場の人工芝が選手生命に影響を及ぼした。野球評論家の柏原純一氏は日本ハム時代の1980年から1984年まで全試合に出場した。パ・リーグを代表する選手になり、1982年のオールスターゲーム第2戦(西武球場)ではMVPに輝くなど、存在感は高まっていった。一方で故障との闘いも起き始めていた。打撃の状態が悪く、苦しかった時期には1度だけ敵の主砲にアドバイスを求めたこともあったという。
ベストナイン3度(1978年、1981年、1982年)、ダイヤモンドグラブ賞4度(1978年、1979年、1981年、1982年)。柏原氏はすべて日本ハム時代に受賞した。12年目の1982年は開幕の西武戦(4月3日、後楽園)に「4番・一塁」で出場して1本塁打を含む5打数4安打6打点。大爆発のスタートで勢いに乗った。
ファン投票で選出されたオールスターゲームには3試合すべてに5番打者でフル出場(1、2戦は一塁、3戦は三塁)。第1戦(7月24日、後楽園)は巨人・江川卓投手から2ランを放ち、延長11回5-5で引き分けた。第2戦(7月25日、西武球場)は、6回に広島・大野豊投手からソロアーチを放つなど5打数4安打1打点と大活躍してMVP。もはや日本ハムだけでなく、パ・リーグの「顔」的な存在だった。
だが、リーグ優勝は1981年に味わって以降、経験できなかった。1982年、日本ハムは後期を制したが、プレーオフで広岡達朗監督率いる西武に屈した。守護神・江夏豊投手がバント攻めを食らった。「江夏さんには『バントされても動かないでください、俺らが全部処理しますから』って言ったんですけどね。その辺は西武の方が細かい野球が上手でしたね」と柏原氏は振り返り、さらに「あの年は工藤(幹夫投手)がねぇ……」と話した。
人工芝の影響で右足を痛め成績が下降…ロッテ落合に助言を求めたことも
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
球界群像〜柏原純一編〜
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