沈黙した野村監督「目立ちたがり屋が…」 “敬遠球サヨナラ打”新庄が出していたサイン

敬遠球を打ってサヨナラ打を放った阪神・新庄剛志【写真:共同通信社】
敬遠球を打ってサヨナラ打を放った阪神・新庄剛志【写真:共同通信社】

柏原純一氏は新庄剛志が入団時、阪神2軍コーチを務めた

 選手として南海、日本ハム、阪神でプレーした柏原純一氏(野球評論家)は1988年に現役生活を終え、その後、指導者になっても力を発揮した。阪神、中日、日本ハムの3球団で打撃コーチを務め、教え子は数多い。なかでも阪神・新庄剛志外野手(現日本ハム監督)との師弟関係は有名だ。1999年6月12日の巨人戦(甲子園)で見せた“敬遠球サヨナラ打”の背景などをクローズアップする。

 柏原氏は1988年に阪神で現役を引退し、1989年からコーチとなった。指導者1年目は1軍だったが、2年目の1990年から1995年まで2軍打撃コーチとして、若手育成に力を注いだ。西日本短大付からドラフト5位で阪神入りした新庄外野手は1990年がプロ1年目。柏原氏が2軍コーチになった年に入ってきた。

 柏原氏はその頃の新庄についてこう話す。「1年目は全然だったよ。足が速くて、肩も強いけど『バッティングが一番自信ない』って言っていたな。ただ、打球がね、ものすごく上に上がるんだよ。そういう打球を打つってことは遠くへ飛ばせることだからね。実際、2年目は見違えるほどよくなったよ。体も強くなったしね」。

 もともと身体能力は抜群だった。「新庄は何でも平気にこなすんだよね。例えば、1か月、何もしていなかったとする。で、走りなさいと言えば、平気で普通に走る。2か月何もやってなくても、10周走れと言われたら平気で10周走る。そういうヤツなんです」。打撃に関してもいじることなく「彼の持って生まれたバッティングの能力をできるだけ伸ばそうと思った」という。

野球評論家の柏原純一氏【写真:山口真司】
野球評論家の柏原純一氏【写真:山口真司】

野村克也氏の監督就任に伴い、阪神コーチに復帰

「新庄の一番いいところはバットが体に巻き付いて出ること。ヘッドが出ないからといって、ヘッド出せ、ヘッド出せって言ったら、そのいいところがなくなる。だからそれは彼に一切言わなかった。あれだけの肩と守備があるんだから、打率.280くらいで、2、30本打ってくれたら御の字ですからね」。2軍で教えるのが楽しくてしかたなかったそうだ。

 1992年、柏原氏は河野旭輝2軍監督に「今年は新庄を打っても打たなくても2軍の4番に据えたいと思うんですけど」と話したという。「河野さんは『君がそういうふうに言うんだったら、そうしよう』と言ってくれた。そうやっていたら、新庄は5月に1軍に上がったんですよ」。この年の阪神1軍はヤクルトと優勝争いを繰り広げた。亀山努外野手と新庄の若手コンビが活躍しての“亀新フィーバー”で盛り上がった年でもあった。

 柏原氏は1996年と1997年は中日1軍打撃コーチを務め、1999年に阪神に戻った。その年に阪神監督に就任した恩師の野村克也氏に請われて1軍打撃コーチに。そこで新庄との師弟関係も復活した。敬遠球サヨナラ打はその年に起きた。6月12日の巨人戦(甲子園)、4-4の延長12回裏1死一、三塁。ここでバッターは新庄。それまで1本塁打を含む3安打と当たっていたこともあり、巨人ベンチは敬遠しての満塁策を選択した。

 巨人は槙原寛己投手と光山英和捕手のバッテリー。光山が立ち上がっての1球目、槙原が投じた球は外角高めにいかず、低い球で1ボール。続く2球目だった。槙原は外角に外しながらも、高くない球を投じてしまい、これを新庄が踏み込んで打ちにいって、三遊間を破るサヨナラ打。漫画のような劇的な一打に甲子園球場は大盛り上がりだった。

新庄が放った“敬遠球サヨナラ打”…直前に送られたサイン

 この背景を柏原氏が説明する。「新庄はね、フリーバッティングの時にキャッチャーを立たせて『ここに投げてください』ってやっていた。僕はびっくりしちゃって『お前何しているの』って聞いたら『この前、歩かされたから、次は打ってやろうと思って』というから『違うだろ、お前』って言いましたよ。で、『打ちたかったら、まずバッターボックスを外して俺の方を見て帽子を触ってサインを送れ。監督に聞くから』と伝えていたんです」。

 柏原氏は日本ハム時代の1981年7月19日の西武戦(平和台)で“敬遠球ホームラン”を放ったが、その時はベンチに意思を伝えることなく、自身の考えだけで行動した。だが、新庄には敢えて申告を求めた。野村監督にOKをもらわずにやらせるわけにはいかないと判断した。そして新庄は、あの場面、敬遠球を打ちたいとのサインを柏原氏に送ってきた。即座に野村監督に「新庄が打ちたいと言っています」と伝達したそうだ。

「野村のおっさんは『あの目立ちたがり屋がそんなこと言っているのか』と言って、しばらく何も言わなかった。新庄はバッターボックスで待っているし早く答えてくれよって思いましたよ。あの時はものすごく長く感じましたね」。ようやく野村監督が「ああ、打っていいよ」と回答。すぐに柏原氏は新庄にOKのサインを送り、あの一打が生まれたのだ。

 ヒーローインタビューで新庄は「僕の師匠の柏原さんも敬遠の球を打って、ホームランを打っていたんで、柏原さんの方を見たら打てと言われたんで打ちました」と笑顔で話した。“敬遠球打ち”で柏原-新庄の師弟関係がより世間にも広まった。柏原氏にとっても思い出深い試合になった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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