「やるか、やられるか」選手を信じた名将の両手 “最強助っ人”が忘れられない光景

元横浜のロバート・ローズ氏【写真:荒川祐史】
元横浜のロバート・ローズ氏【写真:荒川祐史】

ベイスターズ史上最強助っ人は指揮官として「得点を挙げることを重視したい」

「つなぐ4番」として活躍し、横浜(現DeNA)の1998年の日本一に貢献するなど8年間プレーし、ベイスターズ史上最強助っ人と称されたロバート・ローズ氏がFull-Countのインタビューに応じ、独立リーグ・九州アジアリーグに所属する「火の国サラマンダーズ」の監督に就任した経緯や理想に掲げる野球を語った。【取材協力・一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会】

 監督就任会見が行われたのは12月5日。オファーを受けたのは、その約2週間前だった。自身が所属する一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会(JRFPA)の関係者から「コーチか監督に興味はあるか? サラマンダーズにあなたを推薦していいか」との連絡を受けたという。その後、監督としてのオファーを打診され「『もちろんOKです。楽しみです』と答えました。そこから条件などの契約内容を詰めましたが、48時間以内に全てが決まりました。本当に嬉しかったよ」。以前から日本球界への貢献を希望しており、家族も日本を大好きだという。「こんな素晴らしい機会はない」。スピード決着だった。

 1993年から2000年までの8年間に通算1039試合で1275安打、打率.325、167本塁打、808打点をマーク。「マシンガン打線」の中軸として活躍した。1998年のリーグ優勝&日本一に貢献した他、打点王2度、首位打者1度、二塁手のベストナインを6度受賞するなどベイスターズ史上最強助っ人と呼ばれたローズ氏らしく、目指す野球は攻撃重視だという。

「監督として試合の全てをコントロールしなくてはいけないのですが、私は主にバッティングを武器にプロの世界で戦ってきたので、攻撃面は充実させたいと思っています。そして得点を挙げることに重視したいと考えています。得点圏に走者を置いた状態でどういった打ち方、攻撃をしていくかは重要になってきます」

ローズ監督の思い「必死に練習に取り組んでいる選手をNPBに送り出してあげたい」

 監督就任にあたり、自身が現役だった1997年から2000年まで横浜の指揮官だった権藤博監督の存在は大きい。選手には「監督」と呼ばせることを禁じ、細かい指導は行わずに自主性を重んじた「権藤イズム」はローズ氏に大きな影響を与えている。「彼は選手を縛り付けることなく、才能や適正を見抜いて自由にプレーさせてくれたことが素晴らしいと感じました。選手に寄り添って、気持ちが分かる“プレーヤーズ・マネジャー”でした」。

 権藤監督は現役時代は投手だったこともあり「投手との関わり方は生かしたい」とし、「アウトを取るために自信を持たせることに、とても秀でていた。『恐れるな』ということを伝えていた。四球を出しても打者が一塁に到達するより早く、ベンチから投手を激励するようなジェスチャーを出していた。二塁のポジションからその姿をよく見ていました」と当時の様子を語った。

 忘れられない光景がある。1998年10月8日、甲子園で阪神を下して38年ぶりのリーグ優勝を決め、歓喜のナインが権藤監督を胴上げした。「日本の胴上げを初めて体験できました。宙に舞う権藤さんは両手を広げて、人差し指を立てていたんだ。選手たちがしっかり受け止めてくれると信じていることが伝わって、すごく印象深かったです」。ボスと選手との理想的な関係を目の当たりにした。

「Kill or be Killed(やるか、やられるか)」。権藤監督がよく口にしていた言葉だという。「とても理にかなっていると思います」。柔和なローズ氏の表情が、勝負師の顔になった。自身の新たなる挑戦に「できるだけ(熊本に)長くいたい。そして何度も優勝して、必死に練習に取り組んでいる選手をNPBに送り出してあげたい。彼らの夢を叶える手助けをしたい」と言い切った。そして優勝して胴上げをされる側に――。「そうだね。その時は“権藤スタイル”で。僕は心配で下を見ちゃうかもしれないけどね」。優しい笑顔に戻っていた。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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