帝京・前田三夫氏が明かすノックの真髄 バット置いて拍手…名人芸の秘訣は「選手との“会話”」

帝京高の野球部監督を務めた前田三夫氏【写真:荒川祐史】
帝京高の野球部監督を務めた前田三夫氏【写真:荒川祐史】

退任後の独占インタビュー…“名人芸”ノックに込めた思いに迫る【前編】

 1972年1月から2021年の夏まで、足かけ50年にわたって東京・帝京高の野球部監督を務めた前田三夫氏(現在は同校名誉監督)は、就任当初に実績のなかったチームを全国制覇3度の名門に育て上げ、数多くのプロ野球選手も輩出した。Full-Countが行った独占インタビューで、“名人芸”と評判だったノックの真髄について語った。

「僕はノックが好きでした。なぜかというと、選手との“会話”だからです」と前田氏は唇を綻ばせる。「ナイスプレーには、僕はバットを置いて拍手をします。『うまい!』と。すると、その子は自信を持って、ますますうまくなります。選手の気持ちの移り変わりを見るのが、面白かったですね」

 エラーが出れば、すかさず注意を与え、「そんなのが捕れないようでは、女の子にモテないぞ」とジョークを交えることもあった。「おまえはプレーしている時の顔が悪いよ。おどおどせず、『よっしゃあ!』という顔をして捕れ。いい顔をして来いよ」といった珍フレーズも飛び出した。

 前田氏のノックバットから弾き出された打球は、まっすぐな線を描くようにして選手のグラブに収まっていく。「“死んだボール”は、選手も簡単に、いい加減に捕りますよ。こちらが“生きたボール”を打てば、選手も真剣になるものです。僕は常にバットの芯に当てて、低く、すーっと伸びていくゴロを打っています」と説明する。「グラウンドが多少荒れていても、絶対にイレギュラーさせない自信があります。しっかり芯でとらえて、バットにボールを乗せてやれば、でこぼこに負けない打球が行きます」と言い切るほどだ。

 一方で、意図的に不規則な回転をかけるケースもあった。「ある程度捕れるようになると、選手は案外雑になってくるものです。そういう時には『おまえ気をつけろよ、イレギュラーするぞ』と言いながら打ってやる。案の定、ボールが頬に“バチン”と当たったりしてね。僕は内心『生きた打球はそんなに甘くないぞ』と思います。そういう打ち分けをしました」と微笑む。これも硬軟織り交ぜた“会話”のうちなのだ。

帝京高の野球部監督を務めた前田三夫氏【写真:荒川祐史】
帝京高の野球部監督を務めた前田三夫氏【写真:荒川祐史】

キャッチャーフライを打ち上げた瞬間、舞い上がった“2個のボール”

 ノックはリズムが大事だと言う。前田氏のノックは速射砲のようで、途切れることがない。「僕にボールを渡す役割の選手も大変ですよ。選手の間で『おまえがやってくれ。おまえでなければ、監督のスピードについていけないから』と、いつしか特定の選手に決まっていくようです」と笑う。

 たとえば、三塁手がボールを捕り損ねたとする。前田氏は手を休めることなく、遊撃や二塁へ向かってボールを打ちながら、先ほどの三塁手に「それはもっと前へ出て捕れ」と声をかけている。「リズムが選手をうまくする」と考えているからだ。

 ノックを止める時には、たいてい選手を呼び集めた。「僕のいるところに呼び寄せるのではありません。『ちょっと来い!』なんてやると、選手は萎縮してしまいますから。選手たちを呼びながら、僕の方からも歩んでいくと、だいたいマウンドのあたりに輪ができました。それを心がけていました」と説明する。

 ノックにこれほどのこだわりがある以上、当然ノックバックにもこだわった。木のぬくもりが好きで、金属は使ったことはない。木目、長さ、重さ、グリップの太さに至るまで、メーカー側に細かく指定した特注品で、バット工場まで出向くこともあった。そして必ず折れるまで使う。常に正確に芯の部分でとらえるため、見事に1か所がへこみ、皮がむけてくる。「ある時、キャッチャーフライを打ったら、ボールが2個舞い上がったように見えたことがありました」。1つはボール、1つはきれいに円柱形に折れたノックバットの先端であった。大切に扱っても、だいたい2年持たずに折れた。

 どれだけノックしても、手のひらにマメをつくることはめったになかった。「バットはやさしく握り、インパクトの瞬間だけ力を入れます。りきんでも手がマメだらけになるだけで、打球は死にます。手の中でノックバットを生かしてやることがコツです」と秘訣の一端を明かすが、簡単にできることではない。

 一方で、こんなエピソードも。「僕も様々なお付き合いで、お酒を飲むことがありました。二日酔い気味でノックをした時には、必ずマメができましたね。体のバランスが悪かったのでしょう。手から血を吹きながら打ちましたよ」。ノックは選手との会話であり、前田氏の体調のバロメーターでもあった。【ノックの真髄・後編に続く】

○著者プロフィール
宮脇 広久(みやわき・ひろひさ)1967年6月30日、東京都生まれの“KK世代”。埼玉県立川越高校、立教大学文学部を経て、1991年に産経新聞社入社。産経新聞、サンケイスポーツ、夕刊フジで計29年間、野球を中心に記者として活動。イチロー氏、松井秀喜氏らをメジャーで取材したほか、夕刊フジで巨人担当を通算12年務めた。渡辺恒雄氏に単独インタビュー3度(夕食会場張り込みは数知れず)。2020年よりフリー。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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