古巣の“惨状”に込み上げた怒り 「ダメな先輩は置いていけ」嫌われ覚悟の叱咤

DeNAで活躍した須田幸太氏(写真はJFE東日本時代)【写真:本人提供】
DeNAで活躍した須田幸太氏(写真はJFE東日本時代)【写真:本人提供】

元DeNAの須田幸太氏は2019年に古巣のJFE東日本に復帰も「チーム状況が酷かった」

 元DeNAの投手で、2016年には球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出に大きく貢献した須田幸太氏。2018年オフに戦力外となり、プロ入り前にプレーしていた社会人野球のJFE東日本に復帰した自分を待ち受けていた“惨状”についてFull-Countのインタビューで語った。

「自分を戦力外としたベイスターズを見返そう、みたいな思いはなかったです。そんなことよりも、JFEに戻ってきた時のチーム状況が酷かった。ここを立て直さないといけないと思いました」

 それまで2年連続で都市対抗野球の出場権を逃していたこともあり「負け癖がついていた。練習態度も、どこか気が抜けていた。アップの段階からそうでした。目標が都市対抗出場になってしまっていた。優勝を狙える戦力が揃っていたからこそ、腹立たしかったですね」。

 須田氏は2009年にJFE東日本に所属しながらも、本大会出場を逃したチームから選出される補強選手としてHondaに加わり優勝を経験。日本一になるチームの姿勢を肌で感じていた。

 連日のように練習後のミーティングで発言し、夜には寮に住む選手の部屋に足を運んだ。「都市対抗に出られればいいと思っているやついるだろ。そんなんでどうやって勝つの? 予選で第1代表になって、全部勝って優勝するんじゃないの? お金をもらって野球をやることの意味を考えなさい」。時間の許す限り厳しく声をかけ続けた。特に入部1年目の選手には「お前らはこれに馴染むな。若い血でいけ。ダメな先輩は置いていけ」と心を鬼にした。

 ただ発言するだけでは「プロ上がりの偉そうなヤツ」になってしまう。「結果を出していない人間に言われても誰も真剣に聞いてくれない。自分もオープン戦から全て優勝決定戦くらいの気持ちで投げました。シーズンが終わるまで、ほぼ打たれなかった。とにかく自分にプレッシャーをかけ続けていましたね」。

都市対抗野球で優勝を果たした須田幸太氏(写真はJFE東日本時代)【写真:本人提供】
都市対抗野球で優勝を果たした須田幸太氏(写真はJFE東日本時代)【写真:本人提供】

「“プロ上がりがこの野郎”という人もいたと思います」

 結果を出し続ける須田氏の言葉は徐々に重みが増し、勝利への執念はチームに浸透していった。「今までになかった、こうすれば勝てるぞ、みたいな空気感が出てきたんです」。

 南関東地区予選の準決勝、日本通運戦で4-4の6回から須田が登板すると「須田さんが投げているから1点取れば勝てるぞ!」の声がベンチ内で飛び交った。「チームは変わったと思いました」。6-4で勝ち、その勢いで決勝もHondaに快勝。JFE東日本としては初の第1代表として3年ぶり23回目の都市対抗出場を決めた。

「強くなったと思いました」。頼もしい仲間と共に、本大会でも須田氏は無双状態。全5試合に救援登板し、防御率0.64の成績を残して悲願の初優勝に貢献。プロ出身として初の最優秀選手賞に当たる橋戸賞を受賞し、ベストナインにも選出された。

「今までは何かを言うことで、周りから嫌われたくないと思っていました。大きいことを言わないようにしていたけど、あの時はさすがに言わないとダメだと思いました。プロを経験したOBとしての使命でした。“プロ上がりがこの野郎”という人もいたと思います。でも結果を出して黙らせました」

 JFE東日本復帰後は5年以内に優勝することを目標としていたが、いきなり1年目で達成できた。「その後は自分の野球人生の締めくくりをどうすればいいか考えていた」。須田氏は復帰3年目の2021年シーズンをもって現役を引退。現在はJFE物流(株)の人事部に勤務している。

「毎日オフィスに通っていますよ。新卒採用から社員研修を担当しています。楽しいですね。体を動かしたいとか、ボール握りたいとかは全くないです。野球はやり尽くしたので。ただ、いずれはアマチュアのどこかのステージでコーチができればいいなとは思っています。オファーがあればですけど」と笑った。新たな目標を胸に秘め、充実の社会人生活を送っている。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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