歓喜目前の悲劇「僕も行くもんだと」 まさかの星野采配…悔しかった“コンビ解消”

元西武、中日の大石友好氏【写真:山口真司】
元西武、中日の大石友好氏【写真:山口真司】

中日がリーグ優勝した1988年、大石友好氏は「抑え捕手」で活躍

「リリーフキャッチャー」「抑え捕手」。これらは強肩捕手で活躍した大石友好氏の中日時代の代名詞だ。星野仙一監督が守護神・郭源治投手と大石氏をセットで終盤に起用するようになり、そのポジションが確立された。1988年、星野ドラゴンズがリーグ制覇を成し遂げた原動力にもなった。「プレッシャーはありましたけど、やりがいがありました」。ただし、古巣・西武との日本シリーズでは、喜びと悔しさが交差した。

 9年目の1988年シーズン、大石氏は4月8日の大洋との開幕戦(ナゴヤ球場)に「8番・捕手」でスタメン出場。5月中旬過ぎまではレギュラーの立場だった。その後、若手の中村武志捕手の台頭もあって控えに回り、1987年8月9日に近藤真一投手が初登板ノーヒットノーランを達成した時にマスクをかぶっていた相性もあって、スタメン起用は近藤が先発の時だけのケースが続いた。同時に新たな仕事となったのが「抑え捕手」だ。

 守護神・郭とセットで登場し、最後を締める役割。6月からはそれがメインで、7月中旬からの快進撃で独走Vを果たした星野中日の大きな原動力となった。「星野さんがそういう場所を作ってくれたんです。源治が投げやすいというのが見ててわかったんだと思います」。7勝6敗37セーブ、防御率1.95の成績を残した郭はセ・リーグMVP。「抑え捕手」大石氏の貢献度は大だった。

「(中日応援歌の)“燃えよドラゴンズ!”にも“リリーフキャッチャー大石”って出てきますからね。まぁ、それだけ僕のバッティングが悪かったってことですよ。そんな大石を生かすにはそういうところだったってことでしょう。それが僕には合っていました。プレッシャーはありましたけどね。出たら何としても勝ち抜かないといけないですから。キレのいい変化球とかを後ろに逸らしたら駄目。ワンバンも含めてね」

 コンビを組んだ郭からもかなりの精神的重圧を感じたという。「接戦で行くとなっていたのが、逆転されて登板がなくなった時の源治のホッとした顔は今でも忘れられない。そういうことの繰り返しでしたからねぇ。人に言えないプレッシャーがあったと思います」。その点、大石氏は西武時代の日本シリーズで東尾修投手と試合終盤にコンビで登場した経験もあり「それは生きたと思いますね」。

 そんな1988年シーズンのことで大石氏は「最後、悔しかったことがあったんです」とも話す。中日の優勝が決まった10月7日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)。11-3で大勝した試合は先発・杉本から鹿島、上原、鈴木孝、近藤とつなぎ、9回に郭が登板して胴上げ投手になったが、その瞬間の捕手はスタメン出場の中村。大石氏は8回裏に代打で登場して、守りにつくことなく、そのまま退いた。

「9回に源治が行った時に、僕も行くもんだと思っていた。武志が1年フルに頑張ったから優勝キャッチャーを、って星野さんが決めたことですから、しかたないんですけどね。僕のことも気を使ってくれて、その試合に代打で出ることができたわけですから。でも、源治とセットで頑張ってきたんで、そういう意味でちょっと寂しい思い、悔しさがありましたね」。星野監督の考えを理解しながらも、何とも言えない気持ちだったようだ。

日本シリーズでは先発出場も…清原に食らった場外弾は「びっくりした」

 悔しいシーンは日本シリーズでも続いた。相手は古巣・西武だったが1勝4敗に終わった。このシリーズで大石氏は「抑え捕手」の仕事はしていない。第1戦と第5戦に「8番・捕手」でスタメン出場した。レギュラーシーズンの終盤はほとんど“後ろ”で使われていたのが、敢えての起用。2試合とも先発は前年(1987年)オフに平野謙外野手との交換トレードで西武から移籍してきた小野和幸投手。星野監督は小野-大石の元西武バッテリーで勝負に出たわけだ。

 小野はその年、18勝4敗で最多勝利のタイトルを獲得した右腕。「小野は1年通して成績を残したんでね。頑張ったヤツを使う。星野さんってそういうところがあるんです。あの時、小松も調子よかったんで、1戦目は小松かなって思ったんですけど、小野になった。僕は小野とも西武で何年か一緒にやって気心も知れていた。だから先発で使ってもらったんですけど、その期待に応えられなかったんですよね……」。

 ナゴヤ球場での1戦目は1-5で敗戦。2回に西武・清原に先制の場外弾を浴びた。「スタンドのはるか上を越えていきましたからね。あれ以上のホームランはないでしょ。びっくりしました。キャッチャーはびっくりしたらいけないんですけどね。でも、初戦であんな打たれ方をして、あとまで引きずったというか……」。このシリーズ2度目の出番となった第5戦も延長11回6-7でサヨナラ負けを喫して西武の日本一が決まった。

 第5戦に先発した小野は2回途中3失点で降板、大石氏も6回に代打を出されて交代となった。「古巣の西武をやっつけたろうと思ったんですけど、やっつけられました。コテンパンにね」と苦笑しきり。「第5戦で東尾さんと(打者として)対戦できるかってところで、代打・ゲーリーで交代。打席に立ちたかったっていうのはありましたね。結局、東尾さんとは(現役時代を通じて)1度も対戦できませんでした」とも口にした。

 西武・森祇晶監督の日本一の胴上げ。星野監督は中日ナインに対して「目に焼き付けとけ!」と言い、大石氏もベンチの前でそれを見たという。「石毛、辻、清原、秋山、工藤……。西武は強かったですね」。いろいろあったプロ9年目。「でも日本シリーズで西武とやれたのはうれしかったですよ。まぁ、悔しい思い出であり、いい思い出でもあるって感じですかね」。大石氏にとって、いつまでも記憶に残るシーズンだった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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