「3番レジの阿部」から大きな飛躍 かつての異名…10年ぶり“第2の故郷”で感じた原点

オリックス・阿部翔太【写真:北野正樹】
オリックス・阿部翔太【写真:北野正樹】

オリックス・阿部翔太が担当していた「3番レジ」の正体

 チャーミーな笑顔が輝く「3番レジの阿部」が、10年前は大人気だった。その正体は、京都・福知山市のスーパー「バザールタウン福知山店」でレジ打ちのアルバイトに励んでいた成美大(現福知山公立大)の野球部員。のちに日本生命、オリックスとキャリアアップを果たす、阿部翔太投手だった。

 なぜ「3番」なのか。当時、数台あるレジの中で唯一、電子マネーのEdyカードが使用でき、利用客が多いレジ番号「3」を受け持ったことから、パートタイムで働く女性たちに命名されたのが「3番レジの阿部」だった。

 卒業後は福知山大の野球部がなくなり“第2の故郷”とは疎遠になっていた。だが、2023年12月23日、部活動支援事業などを行っている一般社団法人「福知山ユナイテッド」と同市共催の「THE SPORTS TOP Athlete Special」に野球教室の講師として招かれ、約10年ぶりに訪問する機会があった。

 最寄駅まで迎えに来てくれた関係者に「どこか行きたいところはありますか?」と尋ねられ、真っ先に挙げたのが在学当時に働いていたスーパーだった。すでに店長は転勤していたが、3、4人のパートタイムの女性は、今も店で働いており、再会を果たすことができた。

 大学2年から卒業するまで、19時から5時間ほどのシフト勤務を約3年間続け、毎日のように一緒に働いた仲間たち。オリックスの投手として活躍していることを知っている“元同僚たち”だが、再会した瞬間に時計の針は逆戻りした。

「おばちゃんたちが本当にお母さんみたいに心配してくれるんですよ。『怪我していないか』『お金を使いすぎたらあかんで』『貯金しときや』という感じです」

オリックス・阿部翔太【写真:矢口亨】
オリックス・阿部翔太【写真:矢口亨】

変わる番号…変わらない人柄

 在学当時の阿部は、週4回程度のレジ打ちや工場でゲーム用のカセットをパッケージに詰める業務を任された。冬は、雪が舞う深夜に高速道路のインターチェンジ入り口に立ち、高速に乗る車のタイヤチェーンやスタッドレスタイヤの装着を確認する短期アルバイトも経験してきた。

 決してエリートとは言えない野球人生。プロ3年目を終えた2024年の年俸は、プロ1年目の880万円から6000万円(金額は推定)に大幅アップを果たした。季節や天候不順などにより野菜が大きく価格変動したり、消費税変更で値札の付け替えに奔走したりするなど、1円の大切さを肌身で感じたアルバイトの体験から、元同僚たちの心配は杞憂に終わるだろう。

「(大学)2年の秋に右肘を痛めて約1年間、投げられないことも覚えて下さっていて、プロでの故障を心配してくれていた。本当にありがたかったですね。告知を見た当時の寮母だった荒木さんも来てくれて『翔太、翔太』と。『テレビで観ていたけど、ずっと会いたかった』とずっと泣いてくださっていました。1番良い形で福知山に帰ってくることができてよかった。また、より一層頑張ろうという気持ちにさせてもらいました」

 2024年からは背番号「20」に変更する。1軍を目指し、もがいていた新人年に「一緒に練習をしよう」と声を掛けてくれ、苦しいトレーニングを続けた近藤大亮投手(現巨人)から「次は阿部につけてほしい」と譲ってもらった番号だ。アルバイト時代の「3番」から、オリックス入団時の「45番」を経て「20番」へ。さらなる飛躍を“おばちゃんたち”が見守っている。

○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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