漏れていた大物守護神「28人は少なすぎ」 メールで届くリスト…人的補償のリアル

オリックス時代の馬原孝浩【写真:編集部】
オリックス時代の馬原孝浩【写真:編集部】

オリックスは2012年オフ、寺原隼人の人的補償で馬原孝浩を獲得

 国内フリーエージェント(FA)権を行使し、西武からソフトバンクに移籍した山川穂高内野手の人的補償は、球界を揺るがす事態に発展した。過去にも人的補償を巡っては、様々なドラマがあった。ダイエー(現ソフトバンク)、ロッテ、オリックスで球団経営に携わった瀬戸山隆三氏は「プロテクトする28人は少なすぎる」と、実感したことがあった。

 FA選手の前所属球団での年俸が上位1~3位(Aランク)か4~10位(Bランク)の場合、28人のプロテクト選手が記載されたリストが、獲得した球団から届く。印象に残っているのが、2012年オフにオリックスからソフトバンクにFA移籍した寺原隼人の人的補償で獲得した馬原孝浩だという。当時、オリックスの執行役員球団本部長補佐(のちに球団本部長に昇格)に就任したばかりの瀬戸山氏は、いきなり“大役”を任されることになった。

 2012年のオリックスは球団ワーストの12連敗を喫するなど、最下位に低迷。オフには内野守備走塁コーチだった森脇浩司氏が監督に就任し、巻き返しを図るためフロントも動き出していた。先発ローテを担っていた寺原の古巣復帰は既定路線とされ、問題は人的補償で誰を獲得するかだった。

「プロテクトリストはパソコンのメールに来ました。現役選手のリストと照らし合わせて、森脇監督やフロント陣で『誰が入っていないのか』を確認した。何人か将来性のある若手選手もいましたが、実績豊富な馬原投手の名前がなかった。当時のオリックスは優勝経験者がほとんどおらず、力と経験のある選手が欲しかった。ましてや新監督で挑むシーズン。怪我明け、高年俸ということもありましたが『もう、勝負をかけましょう』と決めました」

3球団で経営に携わった瀬戸山隆三氏【写真:編集部】
3球団で経営に携わった瀬戸山隆三氏【写真:編集部】

プロテクト28人は「少なすぎるという印象だった」

 当時、馬原は右肩の手術明けで年俸も1億円を超えていた。さらに国内FA権取得までは残り数日。ソフトバンク側は獲得しないと踏んでいたが、オリックスは迷わず通算180セーブを誇る“元守護神”を指名した。瀬戸山氏も「ソフトバンク側もかなり厳しい選択を迫られていたと思う。リストを見ても28人は少なすぎるという印象だった」と振り返る。

 人的補償の他にも年が明けた2013年には選手会長に就任したばかりの大引啓次、木佐貫洋、赤田将吾と日本ハムの糸井嘉男、八木智哉との大型交換トレードを成立。生え抜きで幹部候補だった大引の放出は衝撃を与えた。

 トレードは日本ハム側からの要望で「大引選手がどうしても欲しいと。こちらとしても苦渋の決断。大引選手は素晴らしい人物ですが、糸井選手も匹敵するぐらいインパクトは大きかった。チームを変えるために、それなりの犠牲は必要でした」と瀬戸山氏は振り返る。積極的な補強に動いたチームは2013年こそ5位に終わるが、2014年はソフトバンクと死闘を演じ2位に躍進した。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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