戦力外に凍り付いた治療室…わずか1年で「頭真っ白」 コップも持てず、生活脅かした激痛
元広島・行木俊、右肩痛に苦しんだプロ生活「泣きそうになりながら投げていた」
今季から独立・九州アジアリーグの北九州下関フェニックスでプレーする行木俊投手は、高校時代から何度も右肩の故障に苦しんだ。現在は完治し、万全な状態で投げられているが、当時は「本当にどうしようって。泣きそうになりながら投げていました」。日常生活にも支障が出るほど、激痛が走った。
最初に発症したのは千葉・横芝敬愛高3年の頃。最後の夏も間に合うかわからないほどだった。独立・四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスへ入団した1年目の2019年も登板ゼロ。広島に入って1年目の2021年も2軍登板なしに終わった。同年オフにわずか1年で戦力外通告を受け、育成再契約となった。
「高校の時は本当にひどくて、右腕が肩の高さ以上上がらなかったんです」。上げようとすると痛みが出て、コップを持てないことも。「卒業後も痛みはあって。シャワーも浴びられなかったし、車の運転さえもしんどかった。普段は右手を使わずに生活していました」。日常生活すらままならなかった。
2020年に徳島で頭角を現し、同年のドラフト5位で広島入り。ただ、1年目に再び右肩痛を発症した。強化指定選手に選ばれたこともあり、2軍でも登板なし。オフに治療室で治療を受けている時に、電話が鳴った。
「『スーツでマツダ(スタジアム)に来てくれ』と。頭が真っ白になりました。『1年目で?』とのが正直な気持ちでした」。室内のトレーナーやスタッフらは皆一言も発せず、一瞬にして静寂が漂った。
痛みを庇って登板も…ワンバウンド連発で「イップスみたいに」
球団からは戦力外通告と育成契約の打診を受けた。他球団と契約することも可能だが「他が獲ってくれるかもわからない。育成契約を選ぶしかなかったですね」。背番号は「68」から3桁の「120」に変わった。
育成再出発となった広島2年目も痛みは残っていた。とはいえ、2年間登板なしでは、立場も危うくなる。コーチやスタッフは配慮してくれたが、無理をして痛む右肩を庇いながらでは、本来の投球とは程遠く「イップスみたいになっていました」。ワンバウンドを連発したり、直球すら制球が定まらないこともあった。
転機になったのは昨年6月。チームメートの益田武尚投手に紹介された北九州に病院で治療を受けると、痛みがスッと消えた。それまでは全国の病院を回っていたが、うまくはいかず。「どこの病院でも『手術するほどではない』と言われるんですけど、動かしたら痛い、施術してもらっても痛いって感じだったので。6月以降は良い悪いはありますけど、痛みなく投げられています」と話す。
不安もなくなり、思い切って投げた3年目はウエスタン・リーグで2勝1敗、防御率3.32の成績だった。ただ、球団からは2度目の戦力外に。新天地として決めたのは、奇しくも怪我が治るきっかけとなった北九州だった。「球団も病院とともに全面サポートしてくれると言ってくださっているので。もう一度、頑張ってみようと」。再びNPBの舞台に戻り、初の1軍マウンドへーー。肩の不安は、もう全くない。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)