悲鳴上げた右肩「投げられたヤツしか生き残れない」 阪神エースがもたらした“特効薬”

元阪急・山口高志氏【写真:山口真司】
元阪急・山口高志氏【写真:山口真司】

山口高志氏は憧れだった村山実氏と対面…右肩痛の対処法を尋ねた

 肩の痛みともうまく付き合った。1970年の「第19回全日本大学野球選手権」準決勝・法政大戦で、関西大2年の山口高志投手(元阪急=現オリックス)は延長20回、306球を投げて勝利した。「いつ終わるんやろって思って投げていましたけど、終わった瞬間に肩を上げるのもつらくなった。駅伝でゴールした瞬間に倒れ込むみたいな……」。壮絶投球の影響は、その後あったが、結果的にはそれも乗り切った。関大の大先輩、村山実氏(元阪神)からアドバイスも受けたという。

 関大2年時の1970年6月24日の延長20回、306球の激投の影響について山口氏は「多少、あったと思う」と話す。その年の関西六大学野球、秋のリーグ戦前から右肩に違和感もあったそうだ。そのまま突入して7勝を挙げたものの、右肩痛を発症。それでも関大は優勝し、11月6日開幕の「第1回明治神宮野球大会」に出場した。「痛いといっても投げられない状態ではなかった」という山口氏はリリーフのみで登板したが、準決勝で東海大に0-1で敗れた。

 この1970年オフに山口氏は憧れの村山氏に右肩痛について相談した。関大の達摩省一監督が村山氏所有のマンションに住んでいた。「村山宅の隣で、いつでもノックしたら会える状態で、俺と同い年のマネジャーとかはしょっちゅう行っていましたけどね。俺は憧れすぎて、達摩家には行ったけど、村山さんのところにはお邪魔したことがなかったんです」。それがついに、右肩痛のこととはいえ、対面して話すことができたわけだ。

“2代目ミスタータイガース”と呼ばれた村山氏は、その年から阪神の監督兼投手。エースとして14勝3敗の成績を残し、防御率0.98はリーグトップ、チームは2位ながら77勝をマークし、監督としても結果を出したシーズンだった。そんな雲の上の人に聞いた右肩痛への対処法。答えは「(痛み止めの)セデスでも飲んだら大丈夫」だった。

 山口氏はこう言う。「要するに“肩の痛みともうまいこと付き合えよ”っていうアドバイスだったんじゃないですかね。あの時代は投げられたヤツしか生き残れませんでしたから」。投手のハードワークが当たり前の時代ならではの話かもしれないが、大先輩のサラリとしたアドバイスで気持ちの面はかなり楽になったようだ。その後はうまく付き合ったのだろう。右肩痛は1971年の3年春までには「治った」という。

関大3年時に68回無失点…現在も関西学生野球連盟の記録

「針治療やマッサージなどはしたけど、なんで良くなったのかな」と山口氏は笑う。3年春のリーグ戦は病み上がりということもあってか、4勝3敗に終わったが、それもバネにさらに成長。3年秋からはとてつもない数字を残していった。5試合連続完封勝利を含む68イニング無失点のリーグ記録を樹立。その後も同志社大戦でのノーヒット・ノーランなど8勝0敗で関大優勝に貢献した。

 関西学生野球連盟の記録である68イニング無失点について山口氏は「俺の頭の中に残っているのは、もうちょっと(記録を)伸ばせていたのにな、ってことですけどね。バントだと思って投げてセンターオーバーだったんでね」と振り返る。1971年10月23日の関西学院大戦。関大2-0で迎えた5回1死一塁で打席には8番打者の関学大先発・竹内利行投手が入った。そこで山口氏は送りバントと決め込んで投げた球を痛打されて無失点イニングがストップした。

「油断しかないかなと思います。でも、打たれた瞬間は“あっ、点を取られた”ってくらいの感覚でした。まだ(無失点の)イニングを伸ばせたかなっていうのは、あとあと考えたことですよ」と山口氏は話す。記録を止めるタイムリーを放った竹内投手はその後、社会人野球を経て関学大の監督を務め、近本光司外野手(阪神)を育てたことでも知られている。

 2017年秋のリーグ戦で、関大の4年生右腕・阪本大樹投手が62イニング無失点をマークした。山口氏は「彼はそのままシーズンが終了して卒業。次も試合があったら、ひょっとしたら抜かれたかもしれない。大阪ガスでも活躍しましたから。俺よりちょっと上背があるくらいで、彼も小さなピッチャーでしたけどね」とも口にしたが、1971年秋から誰も更新できていないのだから、いかに凄い記録かはわかるところだ。

「俺は目一杯投げただけ。それはプロに入ってからもそうでしたけどね。技巧派的な考えも全然なかった。自分では1試合は楽に投げられるという感覚をずっと大学時代、持っていましたね」。令和の今も燦然と輝く関大・山口投手の「68イニング無失点」。それは、憧れの村山実氏からアドバイスを受け、右肩痛もうまく乗り越え、さらに精進して、自身をレベルアップさせての結果でもある。これもまた山口氏の伝説のひとつだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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