阪神は「ずっと閉まったまま」 “暗黒時代のエース”が語る…やりやすかった楽天との違い

阪神や楽天などでプレーした藪恵壹氏【写真:町田利衣】
阪神や楽天などでプレーした藪恵壹氏【写真:町田利衣】

藪恵壹氏は阪神、メジャーを経て2010年途中に41歳にして楽天に加入

 阪神やメジャーリーグなどで活躍した藪恵壹氏は、2010年途中に楽天に加入した。「米国に行ったとき、骨をうずめてそこで辞めるつもりだった」というものの、41歳にして電撃NPB復帰。同年限りで戦力外となり現役引退を決めたため実際にプレーしたのはわずか3か月弱だったが、当時創設6年目だった球団で「新しいチームで本当にやりがいもあったし、おもしろかった。阪神と違うこともたくさんありました」と貴重な時間を過ごした。

 野村克也監督が率いた2009年に2位になっていたとはいえ、当時の楽天はまだ“Bクラス常連”だった。それでも楽しみな若手や、活きのいい選手が目立った。「岩隈(久志投手)とマー君(田中将大投手)がいて投手は2枚揃っている、野手もベテランの山崎武司と中村紀洋がいて、嶋(基宏捕手)は駆け出しだったけど、軸になる選手がいましたから」。

 高卒4年間で3度の2桁勝利などすでに46勝を挙げていた田中には、投球だけでなく普段の行動に驚かされたという。「ゴミを拾うとか率先してやっていたし、何事にもリーダーシップをバンバン取っていく。ハートがめちゃくちゃいい。この子は順調にきているなと思ったし、絶対にメジャーに行った方がいいなと思いました」と印象を語った。

 2010年はマーティ・ブラウン監督とジェフ・リブジーヘッドコーチが就任。メジャー帰りの藪氏にとっては、やりやすい環境でもあった。「そこそこ英語はいけたし、ほぼ毎日監督室に行ってディスカッションしていました。監督室のドアが開いていたらいつでも入って来ていいということ」。若手に「監督に聞きたいことはないか」と監督室に連れて行っては、自ら通訳を買って出ていた。

「選手と首脳陣の距離感、立ち位置は日本とアメリカでは大きく違う」

「メジャーがそうだったので。3Aでも経験したのが、選手ロッカーに入る前に監督室があるから、必ず前を通らないといけない。しかも選手が見える方向に机が置いてある。ドアは開けっ放しで、入れかわり立ちかわり選手が入る。マイナーは監督と投手コーチ、打撃コーチ、トレーナーと4人しかスタッフがいないので、大変だけどより親近感がわく。行ったら答えてくれるし、ドアが開いていれば入っていっていいんだなと学んで、マーティ(ブラウン監督)のときもそれを若手に伝えたかったんです」

 もっとも、1994年から2004年に在籍した阪神時代は「監督室のドアはずっと閉まったままでしたね」。これはチームカラーというより監督によるカラーでもあるが、同じ日本でも全く異なる文化を体感した。

 その経験をもとに、引退後の2011年から2013年まで務めた阪神2軍投手コーチ時代には、コーチ室のドアを開けておくことを提案。「チラっと見ていく選手、挨拶をちゃんとする選手、ただ通っていく選手……。それだけでも貴重な情報源だったんです」と選手の性格を知る手段の一つとなっていたことを明かす。しかし「嫌がって閉めてしまうコーチもいたので」と定着には至らなかった。

「そういうところも変わっていかないといけないと思うんですけどね。選手と首脳陣の距離感、立ち位置はメジャーとマイナーはもちろん違うが、日本とアメリカは大きく違うので」と藪氏。オープンな環境がもたらす利点は、身を持って実感している。

(町田利衣 / Rie Machida)

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