野球人生が暗転した“休暇”「行かなければ」 失った伝説の剛速球…悔やみきれぬ悲劇

元阪急・山口高志氏【写真:山口真司】
元阪急・山口高志氏【写真:山口真司】

山口高志氏は1978年、ほぼ救援専任となり不調から脱出

 現役時代に阪急(現オリックス)で先発、抑えに大活躍した山口高志氏(関西大学硬式野球部アドバイザリースタッフ)は1975年のプロ1年目から4年連続2桁勝利をマークし、リーグ優勝は4年連続、日本一は3年連続で経験した。その中で「一番調子が良かった」というのはリリーフ中心で、13勝4敗14セーブの成績を残した4年目の1978年シーズンだ。ところが、この年の日本シリーズ前に、まさかの“落とし穴”が待っていた。

 山口氏の武器は剛速球だが、プロ3年目の1977年には、まだスピードガンが普及していなかった。「テレビカメラの映像の一コマ、一コマ。リリースした瞬間からキャッチャーミットに入るまでを一コマ何秒かで計算して、俺の場合は154キロだったという話は聞いたことがあった。うろ覚えですけど、尾崎行雄さん(元東映・日拓)は映像で計算したら156(キロ)だったと言われていたと思います」。もちろん、実際はもっと速かったという説もある。

 それほど山口氏のスピードボールは注目されていたわけだが、3年目も猛威を振るった。42登板で13試合に先発、2完封を含む10完投で10勝12敗11セーブ、防御率3.06。しかし「そろそろバテて来た頃じゃないですかね」と言うように、シーズン終盤は調子を落とした。前期優勝の阪急は後期優勝のロッテとプレーオフで激突し、3勝2敗で突破したが、山口氏は2試合にリリーフ登板して勝ち負け関係なしだった。

 阪急が4勝1敗で制した巨人との日本シリーズでは第3戦(10月25日、後楽園)に1-0の5回から登板したが、王貞治内野手に逆転2ランを被弾した。打線が9回に追いつき、延長戦に突入したものの、12回に河埜和正内野手にサヨナラ3ランを浴びて敗戦投手。シリーズ登板もこの試合だけだった。「故障とかではなかったけど、ボールの伸びとか速さとかが違っていたと思う」。3年連続日本一にはなったが、疲労感も残る3年目だった。

 1978年の4年目シーズンは、そんな不調から脱出した。「この年はリリーフが多くなって、先発はほとんどやっていない。でも内容は一番良かった。リリーフでイニング数が少なくなったから、疲れもたまらなくなってきた。精神的にはしんどいけど肉体的には、はるかに楽だった」。当時の抑えは1イニング限定ではない。2イニング、3イニングを投げるのが普通だったが、それでも先発兼任時代に比べれば投球回は明らかに減っていた。

最優秀救援投手賞に輝きパ4連覇に貢献も…腰痛で日本Sに出場せず

 山口氏は3年目も4年目も42登板だが、先発が13試合あった3年目のイニング数が179回2/3に対して、先発2試合の4年目は122回2/3。約50イニングの差があった。1978年はオールスターゲームにも1年目から4年連続出場を果たし、シーズン成績は13勝4敗14セーブ。セーブと救援勝利を合計した26セーブポイントで、パ・リーグの最優秀救援投手賞に輝いた。防御率2.79も自身最高の成績だった。

 阪急は前期も後期も優勝。10月14日開幕の日本シリーズは、セ・リーグ覇者の広岡達朗監督率いるヤクルトとの対戦となった。しかし、レギュラーシーズンで大活躍した山口氏が登板することはなかった。シリーズ前の10月上旬にまさかの出来事が起きたからだ。「有馬温泉で日本シリーズに向けての決起集会をやった。温泉にゆっくりつかって、食事しようという企画。次の日は休みで仲間とゴルフに行ったんですが……」と山口氏は表情を曇らせた。

「ティーショットを打って、その打球を見ながら歩いていたら、ちょっと段があって、空踏みで腰がガクっとなったんです。別に痛くもなくて、あれってくらいでそのままゴルフをしたんですが、次の日、練習に行ってバッティングをやって、それを4、5日続けていたら、だんだん腰に違和感が出てきたんです」。当時の日本シリーズはDH制が採用されておらず、阪急投手陣もシリーズ前に打撃練習を行っていた。

 悔やんでも悔やみきれない。「ゴルフ場で空踏みした時に休んでいれば、全然大丈夫だったと思うんですけど、シリーズに向けて福本(豊)さんのツチノコバットと言われる、太い1キロのバットを借りてガンガン打っていたんでね……」。腰痛発症のため、山口氏は日本シリーズに登板できなかった。抑え不在となった阪急は3勝4敗で4年連続日本一を逃した。この時の腰痛が、以降も山口氏を苦しめた。

「日常生活では何ともなかったんですが、投げる動作をした時に痛みが走る。それを体が覚えてしまった。それまでみたいに腰が切れなくなった。感覚がちょっと変わった。腰が治ったら元に戻るだろうと思っていたけど、真っ直ぐも元には戻らなかった」。野球人生が暗転した。「あの時、ゴルフに行かなかったら、とかも考えましたね」。山口氏のプロ野球での現役生活は8年間。充実していた最初の4年間とは対照的な、険しい後半4年間の闘いが始まった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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