白米禁止…募った不満も「言うとおりにやれば勝てた」 不穏な空気から始まった常勝軍団

元西武・立花義家氏【写真:湯浅大】
元西武・立花義家氏【写真:湯浅大】

広岡達朗監督が徹した「ランナーを進めて1点を取る野球」

 勝負強い打撃で西武の黄金期に活躍した立花義家氏(韓国プロ野球サムスン・ライオンズ3軍打撃コーチ)がFull-Countのインタビューに応じ、入団6年目の1982年から4年間チームの指揮を執った広岡達朗監督時代を振り返った。厳しさをチームに注入。練習でも「すごい緊張感」があったという。

 1981年まで監督だった根本陸夫氏がフロント入りし、名将が西武にやってきた。野手に叩き込まれたのは、走者を進塁させる意識。「試合は投手の頑張りで勝てる。打者が助けることもあるけど、投手に助けてもらうことの方が多い。とにかくランナーを進めて1点を取る野球に徹するように言われました」。相手より1点でも多く取ることに注力した。

「キャンプでは全員がバント、バスターの練習がほとんど。打者はバントを失敗したらポールまでダッシュ。投手もボールが2球続いたら『走ってこい』。その練習はすごい緊張感があった。だから試合の方が楽だったんです」

 たとえ中軸の打者でもバント練習は必須。「秋山(幸二)でさえやっていた。だけどアイツはバントもうまかった。センスがあるから何をやらせてもうまかった。俺はキャッチャーの伊東勤が『タチさん、次はアウトコースです』と囁いてくれたりして、助けてもらいました」と“告白”した。

結局は「広岡さんの言うとおりにやれば勝てた」

 体調管理にも厳しく、チームの食事を全て玄米にしたという“逸話”は「本当です。球場でも遠征先でも全部、玄米でした。白米も食べたかったけど、遠征先は門限もあるから外食する機会も多くなかった」。公私に渡って厳しい管理下に置かれ、プレーへの苦言は直接ではなく、翌日の新聞紙面を通じて知る。不満を持つ選手も少なくなかったという。

 ある日、広岡監督は選手全員を集めて、溜まった文句を言わせたことがあった。その中には広岡監督と同じタイミングで就任した森昌彦コーチ(現・祇晶、のちの西武監督)の態度についての意見もあったが「俺が連れてきたから我慢してくれ」で終わったという。結局は「広岡さんの言うとおりにやれば勝てた」。腑に落ちない選手もいたが、指示に従ってプレーした。

 立花氏にも忘れられない光景がある。フリー打撃中、ショートの辺りから見守っていた広岡監督と森コーチが突然、立花氏のスイングを真似し出して何やら談義し始めたという。「すごく不細工な感じで俺のモノマネをしていたんだよ。選手って真似されることを嫌う。こんちくしょう! と思ったよ」。

 不穏な空気も漂った広岡政権だったが、就任初年度から2連覇するなど在任4年間でリーグ優勝3度、日本一2度と圧倒的な成績を残した。

「投手はみんなコントロールが良くてタフ。10勝投手も5人くらいいた。リリーフも抑える。だから打者が点を取れる時にしっかり取れば勝てた。82年は僅差で勝った試合が多く、83年はみんなボコボコに打ったね」。西武の黄金期は、こうして始まった。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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