桑田2軍監督、松井秀喜氏に「申し訳ないね」 19歳にも熱血指導「もういいだろうと」

指導を行った、臨時コーチを務める松井秀喜氏(左)と桑田真澄2軍監督【写真:宮脇広久】
指導を行った、臨時コーチを務める松井秀喜氏(左)と桑田真澄2軍監督【写真:宮脇広久】

「懐かしい」と声上げた松井氏、「ああいう選手を育てたい」と語る桑田2軍監督

 巨人宮崎キャンプで臨時コーチを務めている松井秀喜氏(ヤンキースGM付特別アドバイザー)は13日、2軍が練習する「ひむかスタジアム」を訪れ、1軍昇格を目指す選手たちを直接指導。現役時代に共に巨人の屋台骨を支えた桑田真澄2軍監督と、言葉を交わすシーンもあった。

 松井氏はひむかスタジアムに足を踏み入れた途端、「懐かしい!」と声を上げた。前回臨時コーチを務めた2018年以来6年ぶりということもあるが、そもそも現在のメーン球場の「サンマリンスタジアム宮崎」が開場したのは2001年で、1993年入団の松井氏にとって宮崎キャンプのメーンと言えば、ひむかスタジアム(当時の名称は宮崎市営野球場)だった。“聖地”と呼んでもいい。それは、松井氏の7年先輩にあたる桑田2軍監督も同じだ。

 桑田2軍監督は、臨時コーチとしての松井氏を語る時には「松井くん」と呼んでいたが、現役時代の思い出話になると「ゴジ(松井氏の現役時代のニックネームでゴジラの略)」に戻った。

 報道陣を前に「ここでゴジが打っていた時は、ラスト5本となったら5本連続、10本と言ったら10本連続で(スタンドに)放り込んでいたわけじゃないですか。あの打撃を思い出して、今の選手に5本と言ったら、果たして何本いい当たりを打つことかできるのかなと考えて、改めて技術力の差を感じます」と懐かしんだ。そして「ああいう選手を育てていかなければと思いますね」と付け加えた。

 この日、松井氏のもとには、ベテランの梶谷隆幸外野手から、19歳の中田歩夢内野手に至るまで、次から次へと選手たちが足を運びアドバイスを求めた。松井氏も身振り手振りを交えての熱血指導で応えた。桑田2軍監督は「彼ら(選手たち)の行動を見て、非常にうれしくなりました。偉大な先輩だから、何も聞きに行けないかなと心配していたのですが、もういいだろうというくらい聞きに行っていましたからね」と目を細め、「松井くんには『申し訳ないね』と言いましたが、丁寧に各選手に向き合ってくれて感謝しています」と首を垂れた。

打撃で結果を残すために“絶対に必要なもの”がある

 桑田2軍監督自身も、投手出身ではあるが、選手たちと一緒に松井氏のアドバイスに聞き入り、時々質問を差しはさんでいた。「ホームランバッターにも、ヒットを打っていくタイプのバッターにも共通して、結果を残すために“これだけは絶対必要”というものがあるという話が聞けて、僕自身勉強になりました。『桑田さん、絶対にこれは必要なのです』と言っていました」と明かす。

 ただし“絶対に必要なもの”の内容については、「それは選手たち全員と共有していますが、みなさん(報道陣)にはお伝えできない」と口を結ぶ。2人きりで言葉を交わす一幕もあり、思い出話にも花を咲かせたことだろう。

 11日にサンマリンスタジアム宮崎で行われた1、2軍紅白戦では、松井氏は4回まで阿部慎之助1軍監督と一緒に一塁側ベンチにいて、5回以降は桑田2軍監督と共に三塁側ベンチに陣取っていた。今キャンプ以前は、しばらく顔を合わせる機会がなかったようで、桑田2軍監督は「ゴジとゆっくり話をしたのはね、ユニホームを着る前(コーチとして巨人に復帰した2021年より前)、プライベートでニューヨークを訪れて一緒にご飯を食べて以来かな。イタリアンに連れていってもらいました」と口元を綻ばせた。

 巨人の投打のレジェンドの再会は、伝統を引き継ぐ若い選手たちにも有意義な学びをもたらしたようだ。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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