“過大評価”に感じたドラ1指名「本当にいいのか」 理解していた実力…苦しんだ視線
現在は四国IL・愛媛の野手コーチを務める伊藤隼太氏
現役を引退して2年、“虎のドラ1”が現役生活を振り返った。阪神に9年間在籍した伊藤隼太氏は、現在は四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツでコーチを務めている。慶大時代は主砲として大きな注目を集め、2011年のドラフトでは阪神が単独指名。同級生らと喜びを分かち合う一方で、一抹の不安を抱えていた。
前途洋々たる船出の日、慶大でドラフト会議の中継を見ていた伊藤氏は、1巡目で阪神から指名された。両腕を挙げてガッツポーズしたが、笑顔の裏には声に出せない思いもあった。「本当に1位指名されてしまっていいのか」。大学野球界屈指の強打者として注目されていたが、百戦錬磨の選手たちが集うプロの世界で戦える自信がなかった。
愛知の名門・中京大中京から進学し、大学3年の春に転機が訪れた。前年からレギュラーに定着していた伊藤氏は、早大の要を担っていた1学年上の斎藤佑樹投手(元日本ハム)や福井優也投手(元広島、楽天)を打ち崩し、2本の柵越えを含む長打率.531をマーク。東京六大学野球・春季リーグ戦でトップの12打点を挙げ、チームを11季ぶりの頂点へ押し上げた。
さらに同年7月から開催された「第5回世界大学野球選手権大会」の日本代表メンバーに選出され、斎藤や東海大の菅野智之投手(巨人)や伏見寅威捕手(日本ハム)、中大の井上晴哉内野手(ロッテ)らと肩を並べ、3年生ながら日本代表の4番として全試合に出場。3本塁打を放つなど攻撃を牽引し、銅メダル獲得に貢献した。当然、プロのスカウトや野球ファンから“翌年のドラ1候補”と呼ばれるようになっていた。
自己評価より高い査定、周囲の目…その期待に応えたい一心だった
大学時代の功績のすべてを「たまたま」と言い切る。ターニングポイントになった大学3年時も「たまたま活躍したものですから、注目されてしまったんです」と切り捨てた。
「周りからの評価が、自分が思っている以上と感じていました。常にその評価に追い付けていないと思っていましたし、いろんな人が僕に対してしてくれている評価にちゃんと応えられるように、応えないといけないと、自分を追い込んでいましたね。練習にも試合でも必死になっていました」
大学4年になり、主将として臨んだ春のリーグでは4本塁打を放ち、打率.405、長打率1.095の好成績で2季連続優勝に導いた。「上手くいっているときはいいんですよ。でも僕、最後のシーズンは全然ダメだったんです」。ドラフトを控えた集大成の秋季リーグ戦は、全試合に出場して打率.262、打点はわずか1。高く評価されていた長打力が冴えず、2年秋から毎シーズン打っていた本塁打は0本に終わった。
期待という名の虚像と戦っていた。「いろんな人に見られていると決めつけていました。周りの目をすごく気にしていましたね。(多くの人が評価している、それに応えるべきと)勝手に僕が思い込んでいたんです」と肩を落とす。「それはプロになっても続きました」。すっきりとしない表情の伊藤氏は力なく俯いた。
(喜岡桜 / Sakura Kioka)