ヤジ、誹謗中傷…やりがい失った元阪神ドラ1 窮地から脱出も、苦しかった重圧との闘い

愛媛マンダリンパイレーツでコーチを務める伊藤隼太氏【写真:喜岡桜】
愛媛マンダリンパイレーツでコーチを務める伊藤隼太氏【写真:喜岡桜】

入団7年目に初の1軍フル帯同…伊藤隼太氏に大きな影響与えた掛布雅之氏

 四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツで野手コーチを務める伊藤隼太氏は、勝負強い打力、強肩、俊足を評価され、慶大から2011年ドラフト1位で阪神に入団。同球団の新人外野手としては1972年の望月充氏以来、40年ぶりに開幕スタメンを勝ち取った。プロ7年目の2018年には初めて1軍でシーズンを完走。96試合に出場し、打率.247(150打数37安打)13打点、出塁率.335をマークした。

 生き生きと野球ができたシーズンだった。キャリアハイの活躍の裏に「いろんな影響を与えてくださった指導者のお1人ですね」と、貴重な出会いがあったことを明かす。

 その人物とは、1970年代後半から1980年代にかけて猛虎打線を牽引し、「ミスタータイガース」と称された掛布雅之氏だ。プロ2年目を終えた2013年オフ、掛布氏が現役引退してから25年ぶりに帰ってきた。ゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーターとして若虎たちの育成に尽力し、2016年に2軍監督に就任。同じ左打者である伊藤氏も、掛布氏から熱心な指導を受けた。

「いろんな監督やコーチがいましたけど、掛布さんは『いいぞ~、いいぞ~』と気持ちよく野球をさせてくださる方でした。怠慢プレーにはもちろん叱ることもありましたよ。そうじゃない時は『いいぞ~』と、伸び伸びと野球をやらせてくれました」

掛布氏の自宅地下室で練習「いつも2人で、1時間くらい」

 一時は、スタンドから飛ぶヤジ、ネットに書かれた誹謗中傷、どこにいても向けられるファンや報道関係者の目などに疲れ、やりがいを見失った。だが、同じ目線に立って選手と汗を流すレジェンドの姿と、包み込むような指導に救われた。

「(掛布さんは)人気があって阪神のスターなので、声をかけられることが僕なんかより絶対に多いはずで、でもその分、気分が悪くなることもたくさんあったと思います。『そんな声も重圧も全部背負って打席に立つんだ』と仰っていましたね。僕は気持ちに波を立てずポーカーフェイスでいるように心掛けていたので、掛布さんが言うことは少し違っていました。(掛布氏のように)全てを抱え込むことは(やろうと思っても)できないですよね」

 2軍の試合や練習を行う場に限らず、掛布氏の自宅でも教えを乞うた。

「よく行かせていただいていました。地下室で練習を見てもらっていましたね。他の選手も声がかかっていたと思いますけど、(掛布氏の自宅は)遠いところにあるので、よく通っていたのは僕くらいじゃないですか。いつも2人で、1時間くらい。技術面もたくさん話してくださいましたが、それよりトスをずっと上げてくださって。(地下でも)伸び伸び野球をさせてくれました」

 楽しかった日々を思い出し、遠くを眺める伊藤氏。二人三脚の末、2018年に初めてシーズンを通して1軍に帯同した。だが、その年限りで掛布氏が2軍監督を任期満了で退任。道筋を照らしてくれた恩師と離れ、また、野球の楽しさを見失ってしまった。

(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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