福留孝介を目指した最後の夏 「スターはあそこで入れなきゃ」消化不良で終わった甲子園
関本賢太郎氏は天理3年夏に甲子園へ…福留孝介のような活躍を目指した
阪神で万能内野手として活躍した関本賢太郎氏にとって、甲子園球場はプロ19年間の思い出がぎっしり詰まった場所だ。加えて1996年、天理高3年夏に初めて足を踏み入れた時のことも忘れることはない。プロスカウトへのアピールを最優先に考えた高校最後の夏の戦い。「ホームランを打たなければいけないと思った」。目標にしていたのは、その1年前にテレビで見たPL学園・福留孝介内野手と同じような活躍だった。
関本氏が高校3年春までに、天理は甲子園に1度出場した。1994年の夏だが、当時の関本氏は1年生でスタンド応援部隊。残る3年夏の奈良大会を勝ち抜かなければ、実質甲子園経験なしで高校生活が終わってしまう。「プロ野球選手になりたいというベクトルとともに、天理に行ったら甲子園には出れるやろって考えていたから、1回も出ないのはさすがにまずいなって思っていましたね」。最後の夏は何としてでも、の思いは自然と強まった。
その中で目標にしたのが福留だった。「僕が高校2年(1995年)の時、甲子園でホームランを打ちまくっているのをテレビで見て、スゲーと思いました。福留さんのようにならないといけないと思った」。福留はPL学園3年だった1995年、選抜大会では銚子商(千葉)に初戦で敗れたものの1本塁打、8強入りした夏の甲子園では1回戦の北海道工(南北海道)で2打席連続本塁打を放つなど大活躍した。関本氏はその姿に刺激を受けた。
福留は1995年ドラフト会議で巨人、中日、ヤクルト、近鉄、日本ハム、ロッテ、オリックスの7球団から1位指名され、抽選で近鉄が交渉権を引き当てたが、入団を拒否して日本生命入り。関本氏は「あのクラスになったらドラフトで7球団競合するんや、甲子園という舞台でホームランを打たないといかんのやなって思いました。だから、甲子園に行かないといけないってね」。投手をやめて打者に専念して福留に近づこうとさらに鍛錬した。
1996年、関本氏は最後の夏に「1番・二塁」で挑み、天理は奈良大会を勝ち上がっていった。1回戦は奈良女大付に11-0、2回戦は奈良商に13-3でいずれもコールド勝ち。3回戦は登美ヶ丘に8-4、準々決勝は西の京に14-1でまたもコールド勝ちだ。準決勝は奈良大付に6-5で辛勝して、甲子園まであと1勝となった。決勝の相手は小、中学校の同級生であり、のちに阪神でも同僚となる左腕・中村泰広投手を擁する郡山だった。
満塁で狙った本塁打「入ったと思ったんですけど…」
2回戦で19奪三振をマークするなど、中村は準決勝までの4試合でわずか1失点と好投を続けていた。関本氏は「僕らのゲームプランは1-0でした。中村投手のスライダーは僕と(4番打者の)住吉(友貴)以外は打てないだろうって思いもあってね。僕が出塁して住吉が返す。それしかない。試合の中でそういう展開を作らないと勝てないなって全体ミーティングでもなっていたんです。何点取るかじゃなくて、とにかくゼロに抑えようってね」と話す。
そして、プラン通りの1-0で勝利した。天理は1回裏に1点を先取。それを守り切った。「1回は僕がデッドボールで出塁して、住吉がタイムリー。それが決勝点でした」。ついに甲子園切符をつかんだ。「自分も出られたし、みんなを連れていくこともできたし、あとはどれだけ甲子園で自分をアピールできるかだろうなって思いました。福留さんみたいになりたいなってね」。だが、福留レベルの活躍まではできなかった。
天理は日大東北(福島)との1回戦に6-0で快勝した。4回裏に先制の2点二塁打を放ったのが関本氏だったが、苦笑しながらこう振り返った。「1死満塁で回ってきたんですよね。願ったりかなったりのシチュエーションで、ここは満塁ホームランしかないと思って、狙っていったんですよ。打った瞬間に入ったと思ったんですけど、レフトフェンス直撃。無茶苦茶、甲子園って広いなって思いました。スターになるには入れとかなきゃいけないところだったんですけどね」。
目標の福留は前年夏の1回戦で満塁弾を放っていた。関本氏にしてみれば、同じパターンでの初戦発進の大チャンスだったが、わずかなところで逃がしてしまったわけだ。天理は2回戦で仙台育英(宮城)に2-6で敗戦。「相手は軟投派のピッチャーでした。本格派のピッチャーとは練習試合で山ほど対戦してきたんですけど、軟投派はどうにも苦手で……。それは自分らもわかっていて、気を引き締めなきゃいけないって言っていたんですけど、やっぱりやられました」。
天理打線は5安打に封じられた。関本氏もノーヒットだった。結局甲子園では日大東北戦の先制二塁打の1安打だけ。「消化不良で終わりましたね。プロに行けないことはないだろうけど、アピール不足やなって思いました。ドラフト1位になりたいとかまでは思っていなかったし、何位でも、どこの球団でもプロに行くつもりでしたけど、何か自分の能力を発揮できていないよなって感じでした」。この時は阪神にドラフト2位指名されるなんて想像していなかった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)