「ケタ違いの存在感」強豪・上尾を築いた指揮官 門下生が“教え”を継承していくワケ

上尾・高野和樹監督【写真:河野正】
上尾・高野和樹監督【写真:河野正】

春夏通算7度の甲子園出場を誇る上尾の礎となっている“野本の遺伝子”

 埼玉の高校野球をリードしてきた上尾高校は、大宮高校と並んで公立では最多の春夏通算7度の甲子園に出場している古豪だ。上尾商業として創立された2年後の1960年、プロ野球選手だった野本喜一郎が監督に就任すると、たちまち強豪校に成長した。野本の“遺伝子”はたくさんの教え子に受け継がれ、今もチームの礎となっている。

 その昔、ダイヤモンドは現在の位置ではなく、ホームベースが15メートルほどセンター寄りにあった。一、三塁側に頑丈なダッグアウトを設置するために移動したのだ。東京オリオンズ(現ロッテ)に入団した卒業生の山崎裕之が、59年前にプロ入りを記念して寄贈した。

「巨人の川上哲治さんや大洋(現DeNA)の三原脩さん、南海(現ソフトバンク)の鶴岡一人さんが、山崎先輩の視察で学校のグラウンドによく来ていました。あれだけの名監督が直々に訪れたのですから、たまげましたよ」。山崎の1学年下で、76歳になる6期生の小川満が語る当時の情景だ。

 上尾の甲子園初陣となる1963年の選抜大会に山崎は2年生で出場し、1965年に破格の契約金5000万円で東京に入団。西武と合わせて20年間プレーし、5度のベストナインに3度のゴールデングラブ賞のほか、2081安打を放って名球会入りした球界を代表する二塁手だった。

 小川の同期には、ヤクルトの会田照夫と日拓(現日本ハム)の江田幸一がいた。

 小川は24年前から、1級下の嶋村修一(75歳)は14年前から、連日グラウンドに足を運び、孫のような後輩の面倒を見ている。伝統校というのは、とかく口うるさいOBが多いものだが、2人は静かにじっくりと練習を見学し、気が付いた時にアドバイスするだけ。現監督の高野和樹は「上尾の歴史を知る大先輩から教えを受けるのは、とてもありがたい」と歓迎する。

 みんな野本の教え子だ。西鉄(現西武)などの投手だった野本は、引退後に銭湯を経営する傍ら、近所の中学生を指導していた縁もあって上尾の監督に就いた。

 動かざること山のごとし――。ベンチにどっかと腰を下ろし、泰然自若とした風情で指揮を執り、指導した。

 小川が「選手をよく見ていて僕らの行動は何でも知っていました。あれこれ言わないが言葉には重みがあった」と横顔を語れば、嶋村は「教えるのは基本だけ。あとは選手に考えさせた。ミスしても何も言わないし怒ったこともない。“俺がいるから安心しろ”といった感じで、ケタ違いの存在感だった」と懐かしむ。

 野本は夏の甲子園に3度出場し、エース今太(こん・ふとし)を擁して4強入りした1975年は、準々決勝で原辰徳のいた東海大相模に逆転勝ち。野本の最後の夏は、中日で活躍した仁村徹が主戦の1979年だ。1回戦で牛島和彦、香川伸行の浪商(現大体大浪商)に9回2死まで勝っていたが、牛島に同点2ランを浴びて延長で力尽きた。

部室に飾られている野本喜一郎氏の写真【写真:河野正】
部室に飾られている野本喜一郎氏の写真【写真:河野正】

数多くの指導者を輩出…60年以上経っても受け継がれる“教え”

 薫陶を受けた多くの教え子が、指導者として成功している。

 仁村は1軍ヘッドコーチとして2013年に楽天の日本一に貢献。浦和学院の森士(もり・おさむ)元監督は甲子園に春夏通算22度出場し、2013年の選抜大会を制した。鷲宮が1995年の選抜大会に初出場した時の監督が斉藤秀夫で、東海大相模を破った時の選手。母校の監督歴もあり、現在は小川や嶋村らと後輩の指導に日参する日々だ。

 鷲宮からヤクルトに入った速球派右腕・増渕竜義の恩師が、現在上尾を率いる高野。1999年夏、群馬県勢として春夏通じて初優勝を飾った桐生第一の指揮官・福田治男、巨人の阿部慎之助らを育てた中大監督の清水達也もOBだ。

 野本は1984年春に浦和学院へ転籍。25歳で母校の監督を引き継ぎ、同年夏の甲子園に出場したのが新井浩で、高野は2、3年生の時に新井の指導を受けた。この夏の甲子園には、2年生の控え捕手としてベンチ入りしている。

 7期生の嶋村は「市民をはじめ、上尾のファンは昔から多いんですよ。精神力の強さとか人間味に魅力を感じるのでしょうね」と述べた。

 高野は新年度で、監督に就任して15年目の節目を迎える。

「自分は強い上尾と野本さんに憧れて入部しました。今が浦和学院や花咲徳栄に挑戦する時代なら、昔はどのチームも上尾に向かってきた時代。もう1度甲子園へという思いは強いですよ。伝統校のOBですから責任は重いですが、野本さんから教わったどんな相手にも、どんな戦況でもやり切る野球を貫いていきたい」

 野本が植え付けた遺伝子は、60年以上経過しても門弟にしっかり受け継がれている。

◯著者プロフィール
河野正(かわの・ただし)1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部でサッカーや野球をはじめ、多くの競技を取材。運動部長、編集委員を務め、2007年からフリーランスとなり、埼玉県内を中心に活動。新聞社時代は高校野球に長く関わり、『埼玉県高校野球史』編集にも携わった。著書に『浦和レッズ・赤き勇者たちの物語』『浦和レッズ・赤き激闘の記憶』(以上河出書房新社)『山田暢久 火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ 不滅の名語録』(朝日新聞出版)など。

(河野正 / Tadashi Kawano)

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